(馨くんとハルヒちゃん)


漆黒のさらりとした髪に触れ、”好きだよ”と一言。それから”恋人同士になろうよ”と続けると、彼女は落ち着いた声で”いいよ”と言って頷いた。
僕は卑劣で自分勝手。彼女のことが好きで好きで仕方がなくて、ついに告白して自分のものにしてしまった。勿論光達のことも考えた。彼等もまた彼女のことが大切で、大好きだったから。だから僕が彼女と付き合い始めたと知って皆随分と苦しんだと思う。少しばかり罪悪感。
だけど僕はやっぱり卑劣で。彼女と付き合い始めたその日、自慢気な顔で殿にこう言った。
『僕、ハルヒと付き合うことになったから』
悲しむと思っていた。嫉妬に苦しむだろうと思っていた。だけど次の瞬間殿は僕の頭を優しく撫でて、顔をあげた時には、天使みたいな顔で微笑んでいた。
『…そうか。おめでとう馨。ハルヒをよろしくな』
彼の瞳にはうっすらと涙が溢れていて、それを見ていて、僕はどうしようもなく泣きたくなってしまった。ここまでお人好しの部長だなんて思ってもいなかった。ここまで眩しい部長だなんて思ってもいなかった。正直僕は殿に流されて感動してしまったりもしたけど、でも、本当は全然嬉しくなかったんだ。

ガヤガヤとしていた教室は今ではガランと静まり、もう生徒達は帰ってしまっていた。光ももう先に帰ってしまったらしい。前まで一緒に帰っていたのに、ね。
僕は適当な椅子に座り、窓から夕焼けの空を眺めていた。隣にはハルヒ。最近部活がない日は何時もこうやって二人で放課後の教室で話をしたりしている。だけど彼女は僕と付き合い始めてから元気がない。僕にはそれが苦しかったけど、”その理由”を知っているから仕方ないと思った。
俯いている彼女の頬に優しく手を掛けて、僕はゆっくりと顔を近づけていった。彼女は黙っている。僕は何も映っていない彼女の瞳をぼんやりと見詰めながら、そのままキスをしようと進める。しかし、あと少しで唇が合わさろうとしたとき、彼女は”ひっ”と小さな悲鳴をあげて、僕の胸を微かに押した。
「………………」
「…あ…ごめん馨…」
沈黙が走った。つきりと痛々しい沈黙が。瞬間、無音の中を僕の長い腕が大きく伸びる。そのまま彼女の両肩を捕えて、強引に机の上に細い身体を倒した。ダンッと彼女の身体が机の上に叩き付けられ、彼女は痛そうに目蓋を閉じた。僕はそんな彼女を囲むように左右に手をついて、身体を密着させた。目蓋を開いた彼女が僕を見上げて目を白黒させている。
「…かお……る……?」
彼女の脅えるような声を無視して、僕は先程と同じように彼女の頬に手を添え、そのままキスしようとした。頬に触れる指先は先程のように優しくはない。僕がそのまま唇を奪おうとすると、彼女は何回も小刻みに首を振った。”いやだいやだ”と。それでも僕は、抵抗する彼女の両手首を力いっぱい握り締めて、動けないように固定した。彼女の折れてしまいそうな手首が真っ赤になってしまっても。そして、ついに彼女は悲鳴交じりにこう叫ぶのだ。
「…やっ……!たま……っせん……ぱ…っっ!!」
その瞬間、僕の中でズキッとした痛みと、それと同時に吐き捨てるような笑いが込み上げてきた。白くて冷たい針が僕の中を切り裂いていって、ぽっかりとそこに大きな穴を残していった。ああ、これが失恋っていうんだ。一気に目頭が熱くなって、僕はどうしようもなく切なくなってしまった。だけど、”これで良いんだ”と僕は心の中で思っていた。
「…ねえハルヒ……今さ、誰のこと考えた?」
「……え…」
「…今、誰の名前呼ぼうとしたの?」
彼女の手首を握る手を緩めて、僕は涙を堪えながら優しく彼女に尋ねた。彼女は大きく目を見開いて、何も喋れずにいる。瞳には恐怖から溢れた涙が堪っていて、僕は償うようにセーターの袖で涙を拭ってあげた。
「…ハルヒさ、本当は他に好きな人がいるんじゃないの?僕じゃなくて、他に」
ちゃんと今気づいたでしょ?そう付け足すと、彼女の瞳から涙が一粒流れた。それは先程のような恐怖からの涙じゃない。今度は本当に純粋で、綺麗な涙だった。

『僕、ハルヒと付き合うことになったから』
『…そうか。おめでとう馨。ハルヒをよろしくな』
僕はあの時、殿に動いてほしかったんだ。顔を真っ赤にして怒ってほしかったんだ。余裕気な顔して”ハルヒは渡さない”って、そう言ってほしかったんだ。
別に自慢する訳じゃなかった。カッコつける訳でもなかった。僕は中途半端な気持ちでハルヒと付き合ったんじゃない。告白したんじゃない。僕は、何時になっても気づかないで交わろうとしない二人に、気づいてほしかったんだ。だけど殿は、優しくて、暖かくて、いつまで経っても”殿”のままだから…
『…っ怒らないの!?悲しくないの!?イヤだって思わないの!?』
僕はあの後、感情的になってしまって思わず殿に掴みかかった。殿はまだ瞳を潤ませたまま、そして笑顔を絶やさぬまま、宥めるようにこう言った。
『俺はね馨、ハルヒと馨が幸せならそれで良いんだよ。ハルヒは馨を選んだんだ。ハルヒが決めたことに俺は口出しするつもりはないし、それでお互いが幸せならそれで良いと思ってる』
僕はその言葉に何も言い返すことが出来なかった。だってそれは今の僕も同じだから。
あのね殿、本当は僕じゃないんだよ。ハルヒを幸せに出来るのは、僕じゃないんだ。ううん、僕でも、他の誰かでも。だってそれはただ一人しかいないんだ。ハルヒが心から愛している人じゃなくちゃ。僕は、僕はね、二人に幸せになってもらいたいんだよ。

ゆっくりと身体を起こし、それから僕はまだ倒れている彼女の身体も引っ張り上げた。彼女はただ俯いていている。僕は小さく息吐き、ゆっくりと彼女の両頬に手を添えて、顔を上げさせた。彼女の瞳からはまだ雫がぽろぽろと零れていて、僕は愛しくて堪らなくなってしまった。ぐいっと身体を引き寄せ、僕はぎゅうっと力強く彼女の細い身体を抱き締める。これが最後かのように、強く強く。いっそこのまま自分のものにしてしまいたい。ずっと独り占めしていたい。
だけど、僕は決めたから。彼女と付き合う前から、それを決めていたんだ。
「……ハルヒ。殿のとこ行ってあげて」
声が震えて、堪った涙が溢れてしまいそうだった。大泣きしてしまいたい。”ハルヒ”と何回も叫んでボロボロと涙を流してしまいたい。だけど僕はそれを堪えて、彼女に泣いているのが気づかれないように言葉を進めた。
「…殿はさ…本当に馬鹿だから。殿じゃなきゃ駄目なのに…それに気づきもしないんだ。だからハルヒから言わないと、ハルヒから行ってあげないと…駄目みたい…」
一つ一つ呼びかけていく中で、僕の肩で彼女が小さく頷いたのが分かった。そんな彼女の反応に、僕自身嬉しいのか悲しいのか良く分からなくて、僕はただただ強く抱き締めたんだ。
ゆっくりと身体を離して、僕は何も言わずに彼女の赤くなってしまった手首を掌に乗せた。そしてそれを持ち上げて、自分の頬に寄せ、また償うように撫でる。彼女にはいっぱいいっぱい謝らなくてはならない。赤くなってしまった手首も、彼女の笑顔を奪ってしまったことも。
「……ハルヒにいっぱい嫌な思いさせた…ごめんな…」
「…ううん。馨は悪くないよ。自分こそ中途半端な気持ちで沢山馨を傷つけて…ごめんね。馨にここまでしてもらわなきゃ気づかないなんて…本当に馬鹿だよね」
今だ小さな雫を溢しながら、彼女はそう言って微笑んだ。その笑顔に、僕もつられて笑う。やっぱり僕じゃ駄目だ。僕がこのままハルヒを僕のままにしておいたら、きっと彼女は壊れてしまう。笑わなくなってしまう。だから本当に、僕は殿で良かったと思っているんだよ。ハルヒを笑顔に出来る殿なら。
「……ハルヒ、最後に言わせて」
もうそろそろさよならの時間だ。ハルヒが殿のいる教室に向かわせなくてはならない。最近殿は教室で一人ぼうっとしているなんて風の噂で聞いたから、きっと今日もいるだろう。だけど、その前に言いたいことがある。最後の最後に、真実の言葉を聞いてほしいんだ。君をしんみりさせないように、困惑させないように、今までにないくらいの笑顔で言うからさ。
「……好きだよ、ハルヒ。ずっと大好きだから」
嘘なもんか。冗談なもんか。僕は本気だった。好きなんだ、大好きなんだよハルヒが。それはずっと、何年経っても変わらない。そんな自信がある。彼女は僕を一人の人間として見てくれた。純粋な心で、僕という人間を見つけ出してくれた。君は、僕にとって本当に大切な女の子でした。
「…馨…有難う。自分も馨のことずっと大好きだから」
彼女はそう言って微笑んで、僕の前から去っていった。教室を出て、遠くなっていく足音。速くもなく、大きくもないそんな足音。愛しくて恋しくて、僕の元に置いておきたかったけれど、僕が願うのは、彼女の幸せだから。


「…っはは…ははは………」
寂しいと悲しいと痛いという気持ちはどこに置き換えることも出来なくて、僕はただ只管に笑っていた。無理に大丈夫だと言い聞かせるように。自分は強いのだと、言い包めて。
二人は僕や光に新しい世界を教えてくれた。永遠と続く一本道を、沢山の道に変えてくれたんだ。最初は殿。殿は道だけじゃなく、色んな人間と関わる機会を与えてくれた。次はハルヒだ。ハルヒは僕や光が不可能だと諦めていたことを、次から次へと可能に変えてくれたんだ。そして僕達が今まで持ったことのない感情を、彼女は作り出してくれた。
「…っふ……う…わああああ…っっっ!!!」
泣かないって決めてたのに。僕って本当に泣き虫だな。悲しいけど、辛いけど、でも後悔なんてしていないんだ。だって僕が自らそれを望んだんだもん。
「………馨……」
「………ひか……る……?」
「…一緒に泣いてあげるよ、馨……」
教室に入ってきたのは鼻を赤くした光の姿で。僕は吃驚して思わず目を見開く。何時からいたのかな。何時から聞いてたのかな。でもそんなこと僕には関係なかった。やっぱりどんなに世界が広がっても、僕らの絆は繋がったままだよね、光。
「……っうん!!」
どうか幸せになって。どうかずっと笑っていて。僕に光りを与えてくれた人よ。僕がただ一人愛した人よ。二人がくれたように、今度は僕が幸せをあげるから。




ああ、

僕は倖せを願う


(君の幸せはきっと僕の幸せでもあるから)




桜花さんの小説を読んでいてですね〜全ての小説感動しまくってしまいましてね。それで思ったんですが、私の小説って感動できるものって全然ないですよね。なんかいつもキャラの強引の想いとか独り占めしたい気持ちとか、欲望ばっか書いてたので、桜花さんの小説読んでて考えさせられました。たまには人の気持ちとか幸せを考えるような小説を作らなきゃいけないなと。それでたまたまパッと浮かんだのがこれです。
なんか最後無理矢理光登場させたの不自然でしたかね;なんかよくよく思えば馨一人で進めていい話じゃないよなこれ〜とか思って無理矢理光を入れたのですが、微妙だったかしら(汗)だって馨二人を幸せにしたくてハルヒと付き合ったのに、最後環とハルヒがハッピーエンドで、馨はみんなと気まずいまま〜なんて可哀相じゃないですか;だから光登場させたのです。…でももうちょっと工夫して書けば良かったな。何はともかく桜花さん有難う御座いました!笑

2007/01/07 天野ミズトさまがこの小説をイメージしたイラストを描いて下さいました。
2007/01/14 天野ミズトさまがこの小説をイメージしたアニメを作って下さいました。