「桜咲く頃」
〜あの日見た少女〜


不意に視界を埋めたのは幾つもの桃色の花弁だった。目を細くして見てみれば、自身の前をやんわりとした茶色髪の少女が走っている。小さな両手で沢山の桜の花弁を囲んで、誰かに見せるんだろうか嬉しそうに走っている。見えたのは後姿だけだったが、その少女がどれだけ嬉しそうにしているかなんて、そのリズムに乗った走り方を見ていれば嫌でも分かってしまう。
(……痛ぇ…)
勢い良く走っているもんだから小さな両手から花弁が風に乗って、後ろに居る自身の顔面に飛んでくる。直様、その浮かれた長い髪を引っ張って文句の一つを飛ばしてやりたい所だが、前を走る少女はどんどん離れていくし、態々追うのも如何かと思い、諦めた。
花弁は風に乗ってまだ自身の顔目掛けて飛んでくる。とうの原因の本人は自身の姿に全く気づいていない。何と腹が立つものだ。

桜も満開に咲く頃、父の知り合いに会いに行くと家族で見知らぬこの地域に遊びに来た事が切欠だった。
着いたら着いたで、両親も妹も父の知り合い(友人)と雑談ばかり。だから一人、暇潰しに近くのこの小さな公園に来た。実際、自身は妹の様に愛想良く大人達の会話に入っていけるような柄では無いのだ。
然し、公園に来たら来たで全く碌な事は無い。前を走り回る少女のお陰で桜の花弁が顔面にぶつかるし、髪に花弁、増してや服の中にまで花弁が混じり込む。窮め付けに目まで開けられないときた。
だが、此処は大人になろうと我慢し、複雑な思いながらも前を走る少女の後姿を薄目で見送っていた。しかしその瞬間、目に映ったのは鈍い音を立てて其処で倒れ込んだ先程の少女の姿。如何やらハシャギ過ぎて転んでしまったらしい。
途端、キーンと耳に響く泣き声。何分間か、其れを人事の様に見詰めていたが、何時になっても少女が泣き止まない為、好い加減うざったくなり少女の所へ行く事にした。
「…泣くな。ウザイ」
泣いている少女を見下ろしながらそう言い、ぐいっと二つ縛りになっている片方の髪を引っ張った。しかし、其れが逆効果なのは当たり前で。少女の高い泣き声はボリュームを上げた。
好い加減頭に来て、其の侭放って置こうと思い離れようとした。然し其れは、がしっと強い音で少女に服を掴まれてしまった事により止められてしまった。
行き成りの事に吃驚し、慌てて少女の手と自身の服を引き離そうとするが意外と少女は馬鹿力で、其れは思うように離れない。
(……何なんだ…こいつは…)

仕方なく溜息を吐きつつも少女の真正面にしゃがみ込む。少女は其の馬鹿力とは裏腹に、まだ大泣きしている。
無言で何気無く目についたのは少女の膝の怪我。先程転んだ衝撃で膝が擦り剥け、微かに血が滲んでいた。
「…転んだくらいで泣いてんじゃねーよ」
「…ちが、う…っ転んだから…泣いてんのと違くて…」
間近で聞く其の地域ならではの方言に暫し気を取られたものの、少女がゆっくりと少女の腹辺りを指差してきたので、気を取り直して其の侭目線を其処に映した。
其処には、先程少女が一生懸命両手に囲んでいたものと思われる先程の桜の花弁が。然し、今其処に映っている花弁は無残に少女の腹部分に広がり、殆ど地面に落ちてしまっていた。
「…折角…っ友達に見せよ思ってん、に……」
ウザいとは思っていたが、其の時の自身は、そう言った少女の表情に目が離せられなくなっていた。何故だかは分からないが。
然し、直様我に返って先程までの無愛想な自分を取り戻す。
「…良いだろ、桜くらい」
「良かないっ!今友達桜見る事でけへんから…!」
「…出来ない?」
「そうやっ!ごっつ高い熱出してもうて外に出られへんねん!!」

「…っせやから…ウチが持ってって見せてあげんねん!!」
涙を流しながらそう訴える少女に唖然としてしまう。
そんな事の為に何でそんなに必死になれるものか。
少なくとも自身には理解が出来ない。
馬鹿と云うか、単純と云うか…。
何だか調子が狂う。

「…つーか…また取ってくれば良い話だろ」
あっさり。もっと早くに言える事だったのだが、少女があまりにも必死に言うものだからタイミングが掴めなかったのだ。
途端、そんな事思い付かなかったのか泣いていた少女の顔がパッと明るくなる。其れは其れはもう分かり易い程。そして棗の服を握っていた手を今度は棗の手に移動させると、ぐいぐいと嬉しそうに棗の手を引っ張って大きな桜の木目掛けて走り始めた。行き成りの事に棗の表情は吃驚。
「…っおい…」
「あんたって頭ええなぁ!何歳??」
「(お前が馬鹿なだけだと思うけど)七歳…」
「へっ!!?ホンマに!?」
途端足が止まる。然し、掴んだ手は離さない侭、少女は棗をまじまじと見詰めて吃驚した表情をしている。如何やら自分が思っていた年齢と違っていたらしい。
「えーっあんた絶対年上やと思ったーっ」
「…は。お前もしかして同い年かよ…?」
「うんっ。ウチも七歳やもんっ」
「…見えねえ」
「あんたが賢いからやろっ」
「お前が馬鹿過ぎるだけだ」
「っあんた口悪いな!」
初対面にして行き成りの小さな喧嘩をし、暫くするとまた其の手を引いて目的の大きな桜の木に足を進ませる。
軽く走り上を見上げると、其処には地元にある桜より明らかに大きい立派な桜の木。その立派さに思わず目を見開いたが、自分はそんな柄では無いと直ぐに桜から目を反らした。すると、少女が何を思うのか自身の背中を軽く押してきた。
「ちゃんと見てって。あんた都会の子やろ?
ウチんとこの桜の木、あんたに見てってほしい」
何時もは人に言われて従う方では無かった筈の自身だったが、何故かその少女の言葉で素直に再度桜を見上げてしまった。
まじまじと見れば余計に教えられてしまう。この木の素晴らしさや、どれだけの年月育ってきたか、何度人々に希望を与えてきたのか。先程までは桜の存在に気づいても何にも思わなかったのに。何故、こんなにもこの桜は輝いているのだろう。
「綺麗やろ」
「…ああ。」
棗の答えを確認し終えると、少女は少し嬉しそうな表情で再度地面に大量に積もっている桜の花弁を両手一杯に掬い始めた。
其の姿を黙って見詰めていたが、ふと少女の在る部分に目が付いた。
其れは、先程の膝の傷。
確か母親に、怪我をした時の為に絆創膏【ばんそうこう】を一枚受け取っていた。其れを思い出し、直様ポケットから絆創膏を取り出し、ゆっくりと其れを花弁を取るのに夢中になっている少女に差し出した。其れに気づいた少女の口から漏れたのは『へ?』と云う間の抜けた声で。直ぐに少女は首を振った。
「ええよっ。ウチ大丈夫やからっ」
「まだ血出てんじゃねえか」
「ホンマええって!だいじょ…」
強引に桜塗れになった少女の手を引いて、其の小さな掌に無理矢理絆創膏を握らせる。少女は、思いもしなかった棗の優しさに少々驚いているようだ。
直ぐに顔を反らしてしまった棗に対し、其の途端、少女には直ぐに笑みが浮んだ。

「…ありがとなっ。」

太陽みたいで眩しい笑顔。
誰にも負けないくらいの大きな笑顔。
癒される、そんな笑顔。

「…………ああ。」


ー如何して、こんなにも輝いているのだろう?









『なつめちゃーーん!帰るよー』
暫くしたら夕焼け空の下で母が迎えに来た。
少女は其の途端『ばいばい』と直ぐに沢山の花弁を囲んで帰ってしまった。
また風に乗って向かってくる花弁が何だか恋しかったー。




「あの子だぁれ?あんな可愛い子いつのまにーっ」
「…うっせー」
帰りの車の中で、母に冷やかされたが、あまり話を聞いていなかった。
いや、聞けなかったと言った方が正しいのだろうか。
車の中でも、帰って来ても、あの声とあの笑顔が頭から離れなかったからー。

ーそういえば、名前聞いてなかったな。










今となってはそんなの思い出となっていて。学園に立つこの桜は、あの時見た桜と比べれば然程大きくは無い。ただ、あの時の少女の事を思い出されるのは確かだ。
翌々考えてみれば、あれが自身の初恋だったかもれない。しかし、其れから色々な事が在り過ぎて、今となっては少女の顔も碌に覚えちゃいない。ただ、唯一覚えているとすれば、ぼやけて映るあの笑顔と、関西弁くらいだ。

そんな時、何かが倒れたようなそんな鈍い音が耳に響いた。寝転んでいた身体をそっと起こし、音のした方を静かに見てみれば、其処に居るのは転んだと思われる、佐倉蜜柑という名の少女が。そして、大声で泣いている。
実際、其の少女に好意を抱いているのは確かで。直様、地面に座り込んでいる少女の方向に足を進ませた。
「ばーか。何やってんだよ」
「うーっ蛍に桜見せてあげよ思ってたんに桜がーっっ」
桜、そう言われて少女の腹部分を見てみれば、少女が囲んでいたと思われる桜が地面に広がっていた。
其の途端、記憶の場面が頭を揺らめかせた。其れは其れは、今見た光景と全く同じ光景の場面が。何だか不思議な気持ちになり、目を見開いた。
其れに、『桜を見せてあげようと』という蜜柑の言葉にも何か聞き覚えがある。
そして、目に付いたもの。
其れもまた、記憶にある膝の傷。
「…お前……血出て…」
「ウチ大丈夫やから!ええって!」

『ええよっ。ウチ大丈夫やからっ』





「………………」
嗚呼、そういう事かと、思わず笑みが浮んでしまう。
この学園に来てしまったからには、もう逢う事は無いと思っていたけれど。

ーまさか、こんな形で。
また出会うなんて…。









「…やるよ。絆創膏」
桜咲く頃、あの笑顔にまた……。


END
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「幾千の祈り」の続きを書いてて頭が痛くなったので生き抜きに書きました。
小説お久しぶりです。ずっとさぼってましたね。
ええと、完全オリジナルで七歳の時、蜜柑と棗は会っていたという設定で。
そして、桜咲く頃、同じような光景を目にして棗がここで気づく訳です(遅)
ええと、何故現在の蜜柑が蛍に桜を見せようとしているかというと、今回は熱ではなくて発明品に熱中してて見に行くのが面倒臭いからのようです。
最後は、絆創膏をあの時のように渡して終わりです。