「倖は遠く過ぎても」


帰ってこないあの映像が今でも夢の中を彷徨い続けてる。昔いた場所。幸せだったあの日々。
明るく日の差し込む学園の裏庭で、今日もあの夢を見る。何時もと同じ夢。幸せだったあの頃と、自身が起こした罪。繰り返し、繰り返し、うんざりするくらいに。忘れてしまいたいが、忘れたくはなかったそんな昔の思い出だ。
夢に乗せて、記憶が辿り着くのは、暖かい笑顔。

ー…母さん。

一番最初に出てくるのは母の笑顔だった。まだ幼い俺より幼稚に見える時々ドジをする母。
けど、俺の名を呼ぶその笑顔が途轍もなく大好きだったのを覚えてる。



『…なつめちゃん』

本当に大人なのかと思う程、無邪気で可愛い母だった。
そして、俺を『ちゃん』づけする。
『ちゃん付けすんな!俺は男なのに…』
『え〜っ、別に良いじゃない。その方が愛情がこもってて良いでしょ?』
そんな母のせいなのか、俺は親戚からしっかりしてると言われていた。
眩しい笑顔を見せる母は大好きだったが、その無邪気な性格に素直にぶつかることはなかった。ぶつかることが出来なかった。歳のわりに照れ臭くて。

暖かな布団の横には、必ず母が笑っていた。照れ臭くて『嫌だ』と喚いても母は隣にいてくれていた。本当は嬉しかったけど、素直になれなかった。母は、そんな時、口癖のようにこう言うんだ。
『今日はどんなお話をしてあげましょうか』
寝る前に何時も御伽話を聞かせてくれる。聞かないふりをしていたけど、実は嫌気がする程聞いていた。寝るのが楽しみになるくらい。

"むかし、むかし、ある所に独りぼっちの男の子がいました。親はなく、独りぼっちで何時も路上を裸足で歩いていたのです。食べるものはなく、住むところさえもありません。
そんな男の子を愚かに思った裕福のおじいさんがある日、男の子に生活していけるだけのお金を差し出しました。しかし、男の子はそのお金を受け取らず、ただただ首を振りました。"
『…さて、何でだと思う?棗ちゃん』
何時も、母はクイズ式にしてこう俺に尋ねる。
勿論、俺は聞かないふりをしている訳だから当然のように『知らない』と答える。
そして、母は俺の聞かないふりを知ってか知らずか、何を思うのかにっこり微笑むんだ。俺は、布団の隙間からそれを見ていた。そして、母は先を続ける。


"僕には僕を愛してくれる人が居るだけで幸せです"

ーと。

"裕福なおじいさんは首をかしげました。とうに男の子のお父さんやお母さん、兄弟は亡くなっているからです。
しかし、男の子は優しく微笑んで、こう続けます。"

"生きていなくても、天国から僕を見守ってくれています。愛してくれています。僕はそれだけで十分です。だから、僕はそのお金は受け取れません。

強く生きていけるから…"

"おじいさんは、その言葉にはっとしました。おじいさんは今まで、きちんと自分の家族達の傍に居てあげたことがなかったのです。自分はとても愚かな考えを持っていた事に気づきました。おじいさんは、幸せはお金さえあれば手に入ると思っていたのです。”

『はい、おしまい』
母は、話がひとしきり終わると何時も俺に笑顔を見せる。
『どうだった?』と問い掛けてくるかのように。
けど、俺は話をそらす。
『…その話、母さんが考えたの?』
『ううん。ちょっとアレンジ加えたけどねっ』
そう母はにこりとして答え終わると、薄く光っていた電気を消した。
そして、優しく暖かい掌で俺の頭を撫でると『おやすみ』と言って布団に入った。
けど、その日、母が何かを呟いた。

『―――…てね』
思い出せない。
夢では、よくこの部分が強調されているような気もするがどうしても思い出せなかった。
考える時間等待ってはくれず、夢は次の場面へと進んでしまう。




それから何日か後だ。父から妹が誕生したと知らされた。呆然としている俺の前に母は笑顔で近寄ってきた。腕に小さな命を抱いて。
『棗ちゃんはお兄ちゃんになるんだよ』
『…おにい…ちゃん……?』
『うん。愛情いっぱいそそいであげようね』
小さな小さな、まだ未熟な手に人差し指を絡ませると微かにぎゅっと自身の手が包み込まれた。暖かくて、優しくて、不思議な感情だった。母は、暖かな笑顔で見詰めていた。


『……お…にー……ちゃ、ん……』
『…っ喋った!母さん喋ったよ!』
初めて妹が発した言葉。
嬉しくて、感動して、柄にもなく思わず母を大声で呼んでしまった。
とにかく嬉しくて。感動して。腕を引っ張られながらきた母の表情も嬉しそうだった。そして、暖かな手で急に俺の頭を撫でる。
『よっぽど棗ちゃんの事が大好きなんだね。
この子は、きっと将来ブラコンだっ』
そう言って、きゃらきゃらと可愛らしく笑顔を見せる母につられて、自身も笑った。穏やかで、暖かで、優しい場面。平和な風景。

しあわせ。
あの頃は、ひとつひとつの日々が楽しかった。
愛される空間が、しあわせだった。
ただひとつ、まだ解せぬ母の言葉だけを残しては。

幸せはそうは長く続かない。
少なくとも、俺の場合はそうだった。
簡単に大切なものや、幸せをそれは奪う。
悲鳴が。血が。

火―――……が………


「…なつめ!」
まさにあの映像が姿を見せようとしていた刹那、誰かに名を呼ばれ、夢から覚めた。勢い良く飛び起きた自身の息は荒く、汗が凄かった。
そんな棗の様子を名を呼んだ人物が心配そうに見下ろす。
「………みず…たま…?」
体勢をくの字にして棗を見下ろしていたのは蜜柑だった。
そして、あの恐怖から救ってくれたのも…。
「…あんた、大丈夫?うなされてたよーやけど…」
「別になんでもねえ。どっか行けブス」
「なんやねんっ、心配しとやったんに…」
差し込んでくる光が眩しくて、額に手を当て影を作っていると、何時の間にかどこかへ行ったかと思っていた少女が隣にちょこんと座っていた。後味の悪い夢を見たせいか、少女をからかう気分ではなかったので、苛立った気持ちのまま、少女の頭を叩いた。少女は、顔をくしゃくしゃにして叩かれた頭を抑える。
「っ何すんねん!」
「何でテメェはちゃっかり隣に座ってんだよ」
「別にええやんか!暇なんやもんっ」
「…今井は。」
「蛍は、新しい発明品作りに集中してて構ってくれへんもん」
「俺だってお前なんかに構わねーよ」
「…かまって…ほしい訳ちゃうくて……」
「は?」
棗が不思議そうに蜜柑を見ると、蜜柑は何か恥ずかしそうに躊躇っていた。そして、照れ臭そうに言い捨てるような言い方でこう言う。
「…うなされてたし…な、棗が…寂しそうに見えたから…っっ」
少女の思いもしなかった発言に棗は言葉を失ってしまった。蜜柑の頬はほんのり赤く、意地を張っているのか口をとんがらせていた。

少女は自分の事を考えてくれていたのか。そう思うと、柄にもなく嬉しく思えてきた。
だから、何時ものデコピンを軽く喰らわしてやる。
俺なりの愛情表現とでも言うのだろうか。
「…ばーか。なんでもねえっつってんだろ」
「……ッ…ほんまに…?」
「…ああ。」
そう少し柔らかく言ってやると、少女は光の中で笑顔を見せた。
その笑顔が、誰かとかぶったような気がした。

「…あ、そういえばな。ウチ、どうしても思い出せへん事があってん」
呆然。
話の切り替えが早い少女に一瞬戸惑ったが、そのまま聞いていた。
「ウチ、お母さんの顔もなんも知れへんけど、少しだけ覚えてる事があんねん。ウチのお母さんな、ウチに何かゆうて…でも、それが思い出せへんくて…」
そう呟いた蜜柑の言葉に棗は一瞬目を見開いた。
全く同じ事を自身も考えていたから。

『―――…てね』

何度思い返してみても見つからない。思い出せない。
思い出さなくてはいけない大切な言葉だと、分かっているのだけど。
「…おれも」
「ふぇ?」
「俺も…お前と同じ事が…思い出せない…」
母は…何を言っていたのだろうか。幼い頃は、ちゃんとその言葉を覚えていたし、大切な事だとも分かっていた。しかし、あの日…あの後…真っ赤に燃え上がった日から…
ーその言葉がすっぽり抜かれてしまって。


『なつめちゃん』
『今日はどんなお話をしてあげましょうか』
『…おやすみ』

『―――――……てね』


『つ…く――…き…てね』


思い出せない。
いくら記憶を辿っても…。



『なつめちゃんっ』



―――母さん…。
もう…あの笑顔は……

眩しい…あの笑顔…は……



「…あ」
「えっ?棗思い出したん?」
思わず、声を出してしまった。
少女は、興味津々に目を輝かせている。
「…いや……」
自身は母の言葉を思い出したのではなくて。
母の笑顔が……。

「…似てる、と思って」
「へ?何が?」
きょとんと自身の答えを待ち侘びる少女が変に愛しくて。思わず、笑みが漏れる。
行き成りの少年の笑みに少女は驚きを隠せないようだ。


「…お前の笑った顔、俺の母さんに似てんだよ」
先程少女が見せた笑顔が、どうも何かとかぶると思っていたらこれだった。少女の笑った顔が、陽だまりみたいで、眩しくて、心地良かった。見ただけで幸せをくれる、母の笑顔と似ていた。何だか懐かしいようなふんわりした気持ちに襲われる。
棗のその言葉に蜜柑は少し戸惑っていた。似てるのかな、と頬を両手で抑え、どことなく照れながら。
そんな少女に、何を思うのか少年は鋭い拳で拳骨を喰らわした。途端、響きあがる少女の悲鳴。
「なっなっ…!!」
「調子のんな。へらへらした馬鹿っぽい笑みとかドジな行動が似てるだけだ」
「ウチそんな…っちゅーかそんなんお母はんに失礼やろ!?」
「本当なんだから仕方ねえだろ。ほんとそこだけはテメェそっくりだよ」
言いたい放題言われ、怒り満ちた声で『なつめ』と再度怒鳴ろうとしたが、急に少年の横顔が真剣になったもんだから思わずそれを止めた。
少年は、振り向かずに言う。

「けど……母さんの笑顔…ウゼェと思ったことは一度もねえ…」
少年は空を見ていた。
青く果てしなく続く広い空を。
遠い、何か愛しいものを見詰めるように。

ー切なかった。


「……なつ…め…」
きっと、棗は不安なんだ。
きっと、どこかでお母さんを求めてるんだ。
大好きだったんだ、きっと。
哀しいんだ。
切ないんだ。
そして………


「おれ…自信がねえんだ」
母の笑顔に似た少女に気を許し、思わず本音を漏らしてしまう。自身でも吃驚している。今まで他人に弱音をぶつけたことがなかったから。自然と声が震えた。その時、彼女がどんな顔をしてるだなんて、見る余地もなかった。
「…最初は一人でも大丈夫だって思ってた。俺は自分でしっかりしてると思ってた…現にそう言われてたし…。けど、違った…。」
俺らしくない。馬鹿みたいだ。
こんなに弱音を溢して。
止めたくても、言葉が滑る。
積もっていた訴えが…すべて…。
「実際は、母さんの笑顔に…家族に支えられて…それで俺自身が生きていけてて……しあわせ、で……けど…おれは………本当はひとり…じゃ………」
家族の存在が傍になくちゃ……
生きていけな……
「―…つめ、なつめ」
最後まで弱音を言い切ろうとしていた刹那、少女が名を呼んだ。途端、我に返り、言葉を止めた。少女はまだ自身の名を呼び続けている。
「なつめ…」
「……なんだよ…」
潤んだ瞳で少女を見れば、少女は戸惑った様子もなく、どちらかというと真剣な表情をしていた。先程の自身を見て、情けない、とでも言うのだろうか。
言われたくはないが、そう思われても仕方ないから唇を噛んで覚悟をした。
「…ウチ…お母はんがゆうとった言葉…思い出してん…」
「……は…?」
予想外の少女の言葉に、覚悟して力を入れていた肩が思わずがくりと下がった。自身のあんな姿を見たのに何て女だ、そう思いながら、覚悟していた自身を馬鹿らしく思っていると、少女がもったいぶっていた口を開いた。


「…つよく……生きてね」

――――――――………

風が吹いた。
お互いの顔等まともに見れなくなるような強い風が。

自身の吃驚した表情を誤魔化すように。



「…なあ。誰のお母さんも…子に思うことは一緒やと思うねん…」
風で乱れた髪を軽く指に絡めながら少女は言う。
俺に何か囁くように。
俺に何かを気づいてほしいかのようにー。
「お母さんは子に…孤独に、辛いことに負けへんように…
つよく…強く生きてほしい、ってそう思うんやないやろか……」

蘇る。
あの頃が。あの場面が。
あのときの言葉がー。

『…その話、母さんが考えたの?』
『ううん。ちょっとアレンジ加えたけどねっ』

『…おやすみ』

『…ねえ、なつめちゃん……』
『……なに』




『――…強く生きてね。』


『…え……?』
『ううん、なんでもないよ』

気がついたら、少女の小さな胸に顔を埋めていた。少女は顔を真っ赤にして戸惑っていたが、自身を引き剥がそうとはしなかった。
耳に響く心地良い胸の鼓動が更に暖かな記憶を呼び起こす。

ー記憶が辿り着いたのはあの日の御伽話。


"生きていなくても、天国から僕を見守ってくれています。愛してくれています。僕はそれだけで十分です。だから、僕はそのお金は受け取れません。

強く生きていけるから…"


"強く生きていけるから"
何故、あの時、母がこの部分を強調させて言ったのか今分かる。
『ううん。ちょっとアレンジ加えたけどねっ』
母のアレンジ。
今考えると主人公の男の子は俺に似た立場だった。

考え方は全く違うが。


母が話してくれた御伽話がこんなにも必要とされるなんて思ってもいなかった。母は、俺に伝えようとしていたんだ。あらゆるものに例えて。御伽話にたとえて。


『――…強く生きてね。』




「…俺も思い出した」
せっかくだからそれだけ伝える。
真っ赤に硬直していた少女はその言葉を聞いて肩を揺らした。
「えっ、なんだったん?」
「お前はもう知ってるから言わねえ」
「?ウチ、知らへんよ…?」
「…知ってんだよ」
「せやから知らへんって…!」
内容は教えてやらない。
君はとうに知っているから。
気づいているから。
大切な言葉を。


もう空の遠くの遠くを見ないようにした。
求めていた存在を求めないようにしようと思った。

真っ直ぐ前を見て、強くなろうと思った。


「…っなつめ!」
初等部へ戻ろうとする棗に、後ろからついてくる蜜柑が呼びかけた。振り向いた少年の目にはもう水気はなくて、どこか吹っ切れたような表情だった。
そんな少年に、少女は柔らかな笑みを見せてこう言う。


「…強く生きてね…っ」

少年は微かに笑った。
柔らかい、優しい笑みで。
そして、少女もまた笑う。



ーねえ、なつめちゃん

『――…強く生きてね。』





「――――…ああ。」

母さん 母さん
僕は大丈夫です。僕はひとりじゃありません。
まだあの笑顔を愛しく思うけれど、きっと強く生きていけます。
希望もあります。あの御伽話もまだ胸に残っています。

そして何より、僕には新しい幸せがあるから。

大切な親友もいる。
大切な仲間もいる。

そして、大切な女性も居ます…。

僕の幸せは、まだちゃんとここにあります。
強さもここにあります。


だから…


ーもう、だいじょうぶです。



END
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強さのことを伝えたいんだか大丈夫だってことを伝えたいんだか、はっきりしない作品になってしまった。
けど、書きたくて仕方がなかった作品だったので書けて良かったです。
家族像は勝手に妄想して作りました。