ただ、恐かった。 この小さな幸せが何時まで続くのかと。 今 も 、 未 来 も ねぇ、この頃、棗君の表情やわらかくなったよね。 聞こえないように喋っているつもりの様だが、それは此方まで丸聞こえ。だが、そう言う生徒達の言葉に動揺はしなかった。何故なら、そう言われているのは今が初めてじゃないからだ。 そう、佐倉蜜柑という無効化アリスの女が入って少し経ってから、何時の間にかそう言われ始めていた。急な出来事から、心を読む少年や、勘強い人間ならばそれがやはり佐倉蜜柑のお陰である事くらい分かっているだろう。 そして、そのとおり。誰かが佐倉蜜柑のお陰で自身が変わり始めた事を質問しても自身は戸惑いもせずに納得するだろう。そのくらい、自身にとって彼女の存在は大きいものだった。 変われただけじゃない、もうこの心には微かな小さな幸せまでもが打ち込まれていた。 だけど。初めて噛締めた幸せはそんなに簡単に続くものではないと少し大人びた俺は知っている。人一倍その事で悩んだ。きっと、何時かは、去っていくか、壊されるか。俺の運命【さだめ】からしてそうだろう。 そんなに大きな期待はしてないのは何時もの事。何時もの事だけど、不安は何時もより大きかった。人一倍失いたくはないこの幸せ。簡単に壊されたくはなかった。 せっかく、光に近づけたというのに。 また己は戻されてしまうのかと。 何時ものようにそんな事を考えながら裏庭の建物におっかかるように座り込んだ。 ぼーっとただ真っ直ぐ前を見詰めていると、ある人物が目に映りこんだ。 白いワンピースを着た女性のようだった。ようだった、というのは何故かその時に限って太陽の光か何かが邪魔してよく見えなかったからだ。女性はどんどん此方に近づいてきた。 近くまで来ると顔がはっきり見えてきた。目は大きく、口元をにこりとして何とも可愛らしい顔立ち。足はすらっと伸びて、栗色のウェーブのかかった長い髪をしていた。 明らかに見た事もないし、話した事もない人だった。 けれど、何故か何時も会っているようなオーラが身に染みてきた。 「…ねぇ、一人?」 少し膝を曲げると座っている己の顔を覗き込んできた。 「誰だテメェ。逆ナンかよ?」 逆ナンかよ、の言葉で少し女性の表情はひきつったが、すぐに堪えてまたにっこりと優しい顔に戻った。そして、棗の許可もなく、勝手に隣に座り込む。何時もの棗なら、反撃するのだが、何故かその時はそんな気にはなれなかった。寧ろ、なる事が出来なかった。 座り込んだ女性は、棗の方を向いてまた喋りだす。 「貴方と喋りたいなー、って思うんだけど、良いかな?」 「勝手に喋ってれば」 又もや冷たい言葉。刹那、少し眉を潜めたが、女性はそれにめげず、微笑んだ表情を返した。そんな強い思いが伝わったのか、伝わってないのかは分からないが、棗も自然と目を合わせた。 目を合わせれば、女性の表情はもっと嬉しそうになった。 それを見ると何故か此方まで嬉しくなる。 何だか誰かに似ていた。 「…見ねぇ顔だな。新米教師か?」 そう質問すると、女性は『うーん』と声を漏らして何か戸惑っているような様子を見せた。 「……まぁ、そんなところね」 だから、その言葉が嘘だと勘強い少年はすぐに気づいた。 けど、聞くのも何か悪いような気がして、そのまま気づかぬふりをした。 「名前は?」 次にそう聞いても、女性はまた『うーん』と戸惑いを見せた。名前を語るすら戸惑いを見せるとは。可笑しいというか、怪しいというか。 「…えっとね、苺よ」 やっと出てきた答えは果実の名前だった。 「だっせー名前」 誉めるのが苦手な少年は悪戯をぽつりと吐いた。 「まっ、生意気ね」 女性の表情は物凄く分かりやすかった。感情表現が豊かで、嘘を吐いている事が嫌でも此方にまで伝わってくる。だが、このまま女性が何者なのか知る為に棗はそのまま話を合わせた。 女性は急に喋らなくなった。 それに棗は気づくと、そっと女性のその綺麗な顔を覗き込んだ。何かと思えば、細くて白い片方の手で口を抑えて、何か震えている。笑っているのだ。くすくす、と小さな笑いを溢している。 『ああ、ごめんね』と棗を横目で見ると、こほん、と気を取り直して、女性はまた此方を見てにこりと微笑んだ。 そして、棗を優しく見詰めながらこう言う。 「人って変わらないものね…」 「はあ?」 そう言葉は漏らしてしまうのも無理は無い。 「ふふ。何でもないのよ、こっちの話」 そう言うと、また静かに笑い始めた。そんな女性の姿に棗は理解が出来ず、珍しく唖然とした目をしていた。何者かを知りたかった筈なのに、話をすればする程、相手の事が余計に分からなくなるのは気のせいか。 如何しても、女性の謎を解きたい棗は、参った、という風に眉を潜めて頭をくしゃりとひとつ掻いた。 でも、一つだけ分かった事がある。 「もしかして、関西出身?」 そう、分かった事とはそれ。先程から喋り方の独特さといい、何といい、その口調は関西弁としか言いようがなかった。標準語の『語』はしっかり出来ていると思うのだが、やはりその発音は関西人としか思えない。 先程から関西弁を喋る少女が頭に浮んできたのは、それのせいだったのか。 思いもしなかった棗の言葉に女性はぽかーんと口を開けて阿呆面。自分では完璧とでも思っていたのだろうか。そんな時の女性の表情も、やはり分かりやすく、すぐに図星だという事が分かった。 「…あらら、分かっちゃった?」 やっぱり。 「発音下手すぎなんだよ」 棗のその鋭いつっこみに女性は可愛らしく頬を膨らませて拗ねたと思ったら、またそれは光に包まれて笑顔に変わった。そんなコロコロ変わる豊かな表情に何時の間にか目を奪われていた。ずっとその表情を見ていたい、そんな事を考えてしまうくらい。 やはり、似ていた、先程から頭に浮ぶあれと。此処まで共通点が揃っているなんて。 空を見上げる女性の姿。何時もよりも天気の良い青い空を女性は嬉しそうに口を滑らせながら見上げていた。そんな表情にさえ目を奪われていると、突然女性が此方を向いてきたので棗は凄い勢いで目を伏せた。女性はまた優しく微笑むとまた空を見上げた。そしてこう言う。 「……ねぇ、今幸せ?」 …と。 それは、先程まで不安と共に考え込んでいた事。ありえない偶然に棗は伏せていた目をまた女性へと移した。そして、また伏せた目は少しずつ切ない目になってくる。 そして答える。 「物凄く小さな脆い幸せだけど…」 だって、すぐに消えてしまうだろうから。 不思議だった。自分は見ず知らずの人間に気安く自分の心を迷いを語る事なんてなかったのに。なのに、ぽろりぽろりと不安の声は漏れていく。夢なんじゃないか、という程に不思議な現象。 先程までなら、一つ一つの発言事に女性の表情を見ていたが、この話になった瞬間に不安に思っていた自分に引き戻されてろくに顔を見れなくなってしまった。しまいには、震えてきた腕を強く囲んで、下を俯く始末。 そんな、棗を見て女性は切なげな微笑みを見せるとまた話し掛けた。 「何よ、黙り込んじゃって」 「……別に」 まだ俯いている棗に女性はまた優しく微笑むと、急に起き上がり、少し前に行って、太陽に向かって思い切り背伸びをした。大きな太陽に照らされた女性の身体は大きく光っていた。風に乗って揺れる長い栗色の髪はきらきら光って綺麗だった。 長くて細い両腕を大きく広げると、女性は棗の方に向き直った。向き直った表情は今までにないとびっきりの笑顔だった。 「私は幸せよっ、すっごく!」 幸せよ、そう大きな声で言った女性の笑顔からでも幸せなんて事は感じ取れた。言わなくても分かるくらいに。 そんな大きな笑顔に、一瞬心を暗くした棗はその笑顔、その光に心を奪われていた。そして、真っ直ぐに、目を反らさずに女性を見上げる。孤独に苦しむまだ幼い子供みたいに。 「ねぇ、私ね…結婚してるのっ」 少し嬉しそうに、桃色に頬を染めて言う女性。外見は若くて結婚している様には見えないが、けれど、その言葉に驚きはしなかった。だって、その幸せそうな笑顔で分かる、結婚してるしか思えない。そんな女性の笑顔は、まだ太陽で綺麗に照らされていた。 「旦那もすっごく幸せよ」 「そこまで聞いてない……」 そうつっこみを入れると、女性は面白そうにまた笑った。何がそんなに可笑しいのか、そんな事を疑問に思ったりしたが、そんな姿も魅力的で、うざったいとは全く思わなかった。寧ろ、先程の暗い気持ちがどんどん消化されていくのが分かった。 癒しをくれるその笑顔。 何だか不思議な気持ちだった。 「この幸せが何時まで続くのか…不安なんでしょ?」 ぴしり。 女性が発した言葉は、正に図星で。当たりすぎていて思わず心臓が飛び出しそうだった。咄嗟に女性の顔を見ると、何時の間にか女性の表情はふざけた表情から、優しい、いや、真剣なものに変わっていた。 『この幸せが何時まで続くのか…不安なんでしょ?』 夢を見ているのかと思った、本当に。 だって、何故そんな事を…… 何故、と言葉を発しようとした時だった。 「――大丈夫よ」 急に救いの言葉がかけられて、言おうとした言葉を全て呑み込んだ。 風が吹いてきた。それだけじゃなく、太陽の光までどんどん大きくなってきて、女性の姿が眩しく映る。とうとう、顔まで分からなくなるくらいに眩しくなってきて、思わず手で目を伏せた。ありえないくらいの太陽の光に少し戸惑いを感じつつも、女性からは目を反らさなかった。 分かるのは、静かに揺れる髪と、白いワンピース。 「…貴方の幸せは消える事はないわ。今も、未来も」 声が出なかった。 もう、頭の中は真っ白で。 「私ね…これを言う為に此処へ来たの。 だから、安心して…棗」 「……どうして…俺の名前を…」 (教えていない筈なのに……………) 光の中から、微笑んでいるのが少し見えた。不思議な事ばかり。やはり、夢なんじゃないか、と試しに頬をつねってみたりもしたが、痛さは充分に伝わってきた。夢じゃない、現実だ。 どうして、名前を知っているのか、その答えは女性の表情を見たら答えてくれない事が分かった。でも、何となく、何となくだが、少し聞かなくても考えれば分かる事のような気がしてきた。それが何故だか、それは分からない。 光の奥を見詰めて、女性は光の中に足をひとつ進めた。 「もうそろそろ標準語も疲れてきたし……戻るかなぁ。 焼きもち焼きの旦那も待ってるしね」 最後にまた此方を見直して、微笑むと、女性はひとつ進ませた足をもう一歩進ませた。そして、その一歩がどんどん増えてきて、少し女性の姿が遠くなってきた。 けど、それであっけらかんと棗が女性を帰らせる筈がないのだ。少し理解してきたこの謎が完全に解けるであろう最後の質問を、大声で聞こえるように叫んだ。 「…なぁ……っ! お前の本当の名前は……っ」 貴方の本当の名前は? これを聞けば、きっと、いや、絶対に女性が何者なのかが分かる。 栗色のウェーブの長い髪を大きく揺らして此方を向いた遠くの女性。その表情はやはり光のような優しい笑顔で。そして、その質問の答えが返されようとしていた。 「…ウチの名前………?」 「…………ウチの名前は……"蜜柑"!」 その言葉に、不思議と違和感は持たなかった。そして、納得している自分が居る。だって、薄々感じ取っていたから。あの笑顔を出せるのは、あの愛しき少女しか居ないのだから。 言い終わると、また女性は優しい笑みを見せた。そして、ゆっくりと前に向きなおすと、白いワンピースを揺らしながら、光の奥へと消えていった。 女性が消えていったのを見送った瞬間、一気に力が抜けて、おっかかっていた壁に全体重を降り注いだ。冷静に見えるが、心の中では、信じられない、という気持ちが何回もぐるぐると回っていた。そして、溜めていた大きな息を思い切り吐いた。 こんな事って本当にあるのか。 信じられない、けど…… (……楽になった………………) そんな気持ちも大きかった。 出会わなかったら、多分ずっと不安なままだっただろう。 ・ ・ ・ 「なつめーーーーーーーーー!!!!」 それから数秒の事だった。何時ものあの怒鳴り声が耳に響いてきた。まだ幻想の世界から出てこられず、ぼーっとしていた意識がその声によって勢いよく飛んでいったのが分かった。 声の人物は、先程と全く同じだが、声は先程の声より幼くなっていた。 何だか、不思議で面白くて、変に笑いが込み上げてきた。 「またさぼりよって!!ウチが言われるんやから!」 ぶぅと頬を膨らまして怒る少女は、先程とは違く、本当の幸せをまだ知っていない。之から自分と一緒に味わっていくだろう未来の幸せを。 怒る彼女の姿を見て、思い出すあの時の女性も確か同じように頬を膨らまして拗ねていた。 『人って変わらないものね…』 思い出すその言葉。今、まだ此処に居たら『お前もな』って言ってやりたかった。まぁ、それはどのくらいか月日が過ぎれば言える事。 何一つ変わっていない訳じゃない。未来の蜜柑は落ち着きも出てきたし、当たり前の事に大人びたようだ。 でも、やっぱり変わっていない、その笑顔は。 そして、やっぱり。 「…お前って、胸だけは全然成長しないのな」 きっと、未来の蜜柑も怒るであろうか。 「はあ!!?なんやねん!?せっかく迎えに来てやったんに!」 そう言ってまた怒って拗ねている少女を見、愛しそうに優しげな表情で微笑んだ。先程の女性の様に、君の様に。 その微笑に何かしら心を動かされたのか、蜜柑の拗ね顔は何時の間にか消えていた。 空を見た。今だに太陽の光で眩しいその空を。 『――大丈夫よ』 『消える事はないわ。今も、未来も』 今も、未来も………か。 「オラ、行くぞ」 強引に手を引っ張って前へ進んでみた。 もう恐くないよ。 未来の君が教えてくれたから。 「うん…。あ、そういえば…さっき誰かと話しとらんかった?」 「ああ……… ――――――…お前と話してた」 「…へ?」 きっと今以上に幸せであろう未来を。 きっと二人で歩いていくであろう未来を。 少しは夢見てみても良いかもしれない―…。 END........ --------------------------------------------- 未来から来た蜜柑ちゃん。少しってか結構大人っぽくなっちゃいました。 これです、書きたかった作品。 何だか、やっぱり最後の方が手抜きというかそんな感じになってしまいましたが(汗 とにかく、未来の蜜柑ちゃんは棗くんの事が心配だったんです。 だから、「大丈夫だよ」っていうことを知らせにきたんです。 旦那さんっていうのは未来の棗くんです。 未来の棗くんも幸せだからあんたは心配することないんだよ、と。 本当は一日で仕上げた作品なのですが、やはり手抜きになってしまって 『この作品は真剣に書きたいなぁ』と思ったのでかなり直しを入れました。 よくなった、て訳じゃないけど。 |