教室で複数の男子と何やら会話しているなっちゃんの姿を時々見ることがある。遠くだから何を話しているかは分からないけれど、なっちゃん達の表情が楽しそうではないことは何となくだが分かった。
「なっちゃん帰ろ」
なっちゃんと男子の輪に入り、覗き込んだなっちゃんの表情は、何だか哀感の漂うものだった。深紅の瞳は涙を溜めていて、ぐっと唇を噛み締めている。周りの男子は眉を吊り上げて怒っている様子だ。漂う険悪なムードが何なのか理解ができなくて、”どうしたの”と私が口を開こうとした瞬間、なっちゃんに向かって一人の男子生徒が先に口を開いた。
「ほんとお前付き合い悪いな」
そう言い終えた途端、後の男子生徒も次々に言葉を付け足す。
「女と一緒にいる方が楽しいのかよ。ママゴトでもする気か?」
「こいつ実は女なんじゃねえの?そういえば女みてーな顔してるもん!」
次々と出てくる男子生徒の言葉はどんどん皮肉なものになっていく。どんな理由があるにせよ、そんな言葉をなっちゃんに言うなんて、私は許せなくって、思わず一人の男子生徒を両手で思い切り突き飛ばした。
「なんてこと言うんや!なっちゃんに謝まれ!!」
そう大声で浴びせると、突き飛ばされた男子が真っ赤な顔をして起き上がり、私に向かって突進してきた。”みかん”と叫ぶなっちゃんの声が聞こえたと同時に、私の身体は大きく跳ね上がって、勢い良く背中から壁に叩き付けられた。再び声を出そうとしたが、背中につきりと痛みが走り、その拍子で声が引っ込んでしまった。
「…っち。この暴力女!!」
半開きの視界に映る男子生徒はそう大声で吐き、ばたばたと教室から出ていった。その光景を見ていた他の生徒達はざわざわと騒ぎ出し、私は震えた身体を未だ起こすことができなくて、なっちゃんは拳をぎゅっと握りながら静かに泣いていた。
夏の空はとても青くて、木に止まった蝉はみーんと何回も鳴いている。何時ものように手を繋ぎ、家に帰っていく。光景は何時もと変わらないのに、後ろのなっちゃんの表情は酷く悲しそうだった。力強く握った手が、少しだけ震えているのが分かる。
「…なっちゃん。あいつらと、何があったん?」
そう言ってぴたりと足を止めると、俯きながら着いてきていたなっちゃんが背中にぶつかった。なっちゃんは私の背中から離れずに、そのままじっとしている。暫くすると、なっちゃんはもう片方の手で私の服の裾をぎゅっと掴み、頭を背中に埋めてきた。とっても暑かったけど、その”熱さ”が何だか放って置けなかったから、私もそのままでいた。
「…一緒に…サッカーしないか、って……言われた……」
小さく返ってきた言葉は、何となく思い描いていた内容とは全く違うもので。思わず私は拍子抜けして肩をがくりと下げてしまった。てっきり男子達の一方的な虐めなのかと思っていたけれど。
なっちゃんは今にも泣きそうな声で、言葉を進めていく。
「この前も言われて……でも…断った……」
「…なんで?」
ゆっくりと出てくる言葉にそう問うと、なっちゃんの身体がぴくりと反応したような気がした。なっちゃんの手を握る力と、裾を握る力が少し強くなった。
「だって俺……身体…弱いから…」
その言葉は本当のことだった。なっちゃんは生まれつき身体が弱い。確か生まれたときもなかなか産声をあげなくて一苦労だったなんて聞いたこともある。
それに大分前、幼稚園の遠足で急な坂道を長時間登ったときになっちゃんは発作を起こしてしまった。だから身体に負担のかかるものは危険なのだ。だけど…
「サッカーとか、日常生活での運動は大丈夫やって言われとったやろ?登山や無理な運動はあかんけど…」
別に運動をしてはいけないという訳ではないのだ。限界を超える高度な運動さえしなければ良い話。サッカーなどの遊びなんて例外だ。だけどなっちゃんはとても弱虫で、とても心配性だった。
「そうだけど…もしもって時だって……」
「…もう。ったくなっちゃんは。絶対大丈夫やから。なっちゃんの身体は、なっちゃんが思ってるほど弱くなんかあらへんよ?」
「…………」
「せやから一緒にサッカーすればええやん。みんななっちゃんと遊びたいんよ?」
そう言うと、突然背中にぴっとりとくっ付いていたなっちゃんが離れ、途端にふわっと汗ばんだ背中に風が吹き込んだ。ゆっくりとなっちゃんの方に振り向くと、なっちゃんは泣きそうな表情で顔を伏せていた。
「なっちゃん…?」
「…無理だよ……俺、男じゃないって言われたから…」
「…え?」
「女みたいだって言われた……でも…そのとおりかも……」
なっちゃんは何時だって泣き虫で、感情的になると深紅の瞳がうるうるってなる。私も泣き虫だけど、なっちゃんは私以上に泣き虫だった。だけどなっちゃんは堪っている涙を簡単には溢さない。そこは少し逞しい。でもなっちゃんは、すっごく繊細なんだ。
「俺は…っ蜜柑みたいにあいつらを突き飛ばす勇気もないし…言い返す勇気も、ない…っ!だから…っ女みたいな俺なんか…っっもう一生仲間になんて入れてもらえないんだ!!」
そう嘆くと、なっちゃんは私の手を振り解いて走っていってしまった。必死に追いかけたけど、なっちゃんは私より足が速かったから、追いつけなかった。
それからなっちゃんの家に訪ねたが、なっちゃんは出てこなかった。心配になった祖父も一緒に訪ねたが、それも無意味で。なっちゃんのいない夕食は、家族が一人欠けたようで、物凄く寂しかった。
次の日は学校がお休みで、私は急いでバターを塗ったパンにかぶりつき、お決まりのミルクで流し込んで朝食を済ませた。それから急いで空色のワンピースに着替え、なっちゃんの家に向かった。こんなもやもやした気持ちが続くのは嫌なのだ。早くなっちゃんと話さなきゃと、私は思っていた。
先程からチャイムを何回も鳴らしているのに反応は昨日と同じ。なっちゃんは出てこなかった。そのまま暫く待っていても同じだった。仕方なくぐるりと回れ右をし、私は大きく息を吐いて目蓋を閉じた。しかし、その場からそっと目蓋を開くと、住宅街の間に佇む大きな木がぐらぐらと揺れているのが目についた。
不思議に思い、なっちゃんの家の敷地から一歩出て、ゆっくりと近付いてみると、私はその光景に思わず声をあげてしまった。
「…っな、なっちゃん…!!」
なっちゃんが目の前の大きな木に身体全身でしがみ付き、その木に登ろうとしている。基本的になっちゃんは運動神経が良いから、足を置ける場所まで辿り着くのにそう時間は要らなかった。だけどなっちゃんの表情は強張っていて、飛び出た枝へ伸ばす手はどことなく覚束ない。
「っちょ…っあんた何してるん!?」
「子猫が降りられないみたいなんだ…っだから助けなきゃ…」
なっちゃんがそう言って指差す方向を見上げてみると、確かにそこには小さな子猫の存在があった。なっちゃんの言うとおり、子猫は脅えているような鳴き声を出して、本当に降りられないようだった。だけど今の私には子猫よりなっちゃんが気になってしまって仕方がなかった。子猫のいる場所まで物凄い高さがあるし、何より落ちたら危ないのだ。
「なっちゃんやめて!ウチ大人の人呼んでくるから!」
「いいんだよっ…俺は男なんだからそれくらい…っっ!!」
”男なんだから”その言葉で思わず止まってしまった。なっちゃんはとても昨日のことを気にしていて、そして変わろうとしているんだ。なっちゃん自身に”男”であることを証明したいんだ。みんなと遊べるように。
(…………)
何だか分からないけどとても嬉しくなってしまって、私は大きく息を吸い込んでなっちゃんに向かって叫んだ。
「……なっちゃん!頑張って!」
なっちゃんは少しぎこちない動きで、だけど確実に子猫との距離を縮めていって、ついに子猫を腕の中に収めることが出来た。なっちゃんはそこから大きく私に向かって手を振る。その笑顔がとても嬉しそうで、私まで嬉しくなって手を振った。なっちゃんはゆっくりと子猫を抱いて降りて来る。
だけど、あとなっちゃんの身長二つ分ってところで、子猫がなっちゃんの腕から飛び出した。その拍子でなっちゃんはバランスを崩して、そこから誤まって落下してしまった。物凄い音がして、私は慌てて倒れているなっちゃんに駆け寄った。
「…っっなっちゃん!!!」
「……い…っ……」
なっちゃんはゆっくりと上半身を起こすと、とても痛そうに腰を摩った。膝や腕が血で滲んでいたが、見た限り骨に異常はないみたいだった。だけど私には衝撃的すぎて、なっちゃんが落下する場面がリプレイされる度に震えが生じた。だけどその震えは、なっちゃんが泣き始めたことにより、停止する。
「…っやっぱり俺は…男らしくなんか…なれない…っっ」
なっちゃんは、溜めていた涙を珍しくぼろぼろと溢して、大声で泣いていた。なっちゃんは自分が頼りなくて、男らしくないと言う。だけど私が今思っていることは、そんなことではない。
「それは違うよ、なっちゃん」
「…え…?」
「なっちゃんこんな大きな木に登ったやんか。子猫助けたやんか」
地面の雑草をぎゅっと握っていた小さな手に、そっと私は手を重ね、私はなっちゃんに微笑みながら言った。
「ーなっちゃん、すっごく男らしかったよ」
なっちゃんの怪我の手当てをしなくてはならないから、とりあえず私の家に戻ることにした。何時ものように私が先頭で、後ろにくっつくなっちゃんの手を引っ張る。だけど今日のなっちゃんは何時もと少し違うんだ。
「…俺、一緒にサッカーやろうって…明日ちゃんと言うから」
そう言ったなっちゃんは、真っ直ぐ前を見ていて、私に向かって柔らかく微笑んだ。なっちゃんは成長していっているんだ。少しずつ。確実に。それが私にとって寂しいことなのか、嬉しいことなのかは、今の私にはまだよく分からない。
なっちゃん
〜小学生・夏〜
(また一歩強くなるために)
*
何気に好評でしたのでシリーズもの作ることにしました。
これから秋と冬も作る予定でいますが、
決して全てが小学1年生の間の季節ではありません。
何年生とは題名に書きませんが、作る作品によって学年は異なります。
なっちゃんは成長していきますから笑
それにしてもなっちゃん原作と全く違いますねー。
まあ小さいから仕方ないです(ぇ
これから成長していくごとに元のなっちゃんになっていきますからw