「LOVE LOVE LOVE」

暖かな空気を包んで、君は勿体無いくらいに、笑う。
誰も向けてはくれなかった優しさを自分に与えてくれる。
『蜜柑ねえ、お兄ちゃん大好き!』
その言葉に、どれだけ癒されただろうか。
だけどその半面、とても切なくて、とても心苦しかった。

蜜柑は五つ離れた妹だ。といっても本当の兄弟ではなく、所謂異父兄弟ってやつだ。自分は母親と亡くなった父親の子供で、蜜柑は自分の母親と再婚相手の子供だった。父親が亡くなってから、新しい生活が始まった。再婚相手の新築のマイホームで、母親と再婚相手、そして自分とで暮らすようになり、通う小学校も変わった。そしてそれから暫くして蜜柑が生まれた。
異変が起きたのはそれからだった。今まで優しかった筈の母と義理の父が急に冷たくなったのだ。まるで他人のような目で見下してくる。
『あら、居たの』
平気で母はそんな言葉を吐く。だけどそれは当然のことだと思った。母は新しい生活を手に入れたのだ。倖せを手に入れたのだ。母が倖せに酔いたいという気持ちは自分にだって理解できた。それくらい母は辛い思いをしてきたのだ。
本当のことをいえば、母は父が死んだことを心底喜んでいた。父は仕事をせずに、何時も酒を飲んでは母に暴力を振るっていたから。だから母は父が事故死した途端、直ぐに不倫相手と再婚した。それはあっという間で、母もあっという間に人が変わったようだった。
『あんた最近、どんどんあの男に似てきたわね』
『ごめん僕は新婚だから。今の生活を簡単に壊したくはないんだよ』
『なんであんな男と結婚しちゃったのかしら。結婚なんてしなけりゃ、あんたなんて産まずにすんだのに』
『イラナイノヨ』
『ワルイケド、ジャマシナイデクレ』
二人は自分のことを厄介者のように扱い、その半面生まれてきた蜜柑のことを必要以上に可愛がった。母が蜜柑に向ける笑顔は、昔母が自分に向けてくれた暖かな笑顔とよく似ていた。
『蜜柑、世界で一番愛してる』
小さな赤子を抱き、そう囁く母を遠くで見る度、自分は小さかった頃を思い出していた。母はよく自分を抱き寄せ、同じ言葉を囁いてくれた。
『棗、世界で一番愛してる』
暖かな温もりと、香る母の匂いが優しくて、自分は何時もその腕の中で眠ってしまう。暫くして起きると、自分を抱いたまま母も寝息をたてていた、倖せだったあの頃。自分にとってはその日々の一つ一つが大切で、とても倖せだった。だけど、母にとってはほんの一瞬の出来事でしかなかったのかもしれない。
『お母さん、幸せそうで、良かった』
『…そうね。けど過去を消せることが出来るのなら、もっと幸せなのにね』
遠まわしに母は自分の存在を否定した。けど、ただ邪魔をしてはいけない、泣いてはいけない、そう思うだけで。今度こそ母親に倖せになってもらいたい、そう願うだけで。母親を思うばかりで。大好きだったから。

そんな時、ふと気づいた。
ー自分って、なんなんだろう?
二人共目も合わせてくれなくて、食事は与えてくれるけど、食べるのは何時も一人で。
毎日毎日口を利いてはくれなくて。好き勝手な行動をとると、鬼のような顔で怒られて。
何をしているんだろう。何のためにここにいるんだろう。
ああ、そうか。邪魔者なんだ。
…ねえ、お母さん
「…俺、は……何のため、に………」
ー生まれてきたの?

『ほんとに蜜柑は可愛いわねえ』
『大きな瞳は君に似ているんじゃないか?』
『ふふ。鼻と口元はあなた似かしら』
見渡すと、何時もそこには囲まれた蜜柑がいた。小さくて、まだ歩けるようになったばかりで。何気なくぼんやりと蜜柑が歩く姿を見詰めていると、蜜柑がバランスを崩して勢い良く畳の上に倒れ込んだ。思わず反射的に蜜柑のところに駆け込む。けど触れようとした手は思い切り誰かの手に引っ叩かれた。引き裂かれるような痛みが走る。蜜柑を抱き寄せ、母が鬼のような顔をしながら睨み込んでくる。
『触らないで!!汚らわしい!!』
眩暈がしそうだった。今までの苦しさがまとめて落ちてきたようで。
痛い。痛い。何が?心が…痛い。
母の胸に抱かれた蜜柑と、目が合ったような気がする。目が合ったのは初めてだった。こんな間近で見たのも初めてだ。だけどそれに対して感じたのは憎しみだけだった。どうせ笑っているんだ。その小さな頭脳【あたま】で、馬鹿にしているんだ。自分が愛されているから。一番に思われているから。こんな扱いしかされない自分を、心の底で嘲笑っているんだ。
”どうしてあいつばかり”
蜜柑のことを憎むようになったのはそれからだった。何をされたとか、何を言われたとか、そんな理由ではなく、ただの一方的な憎しみだった。現に蜜柑とはあの時目が合っただけで、話したこともないし、顔も全く見たことがない。少しでも近付くと、二人が黴菌のように遠ざけるから。
『ねえあなた。蜜柑ってば自分の名前が書けるようになったのよ』
『そうなのか?すごいな蜜柑』
ドアを挟んで聞こえる声。蜜柑が母に可愛がられる度に感じる怒り。それは嫉妬と、でも何より、羨ましかったのだ。愛されたかった。暖かな手で、頭を撫でてもらいたかった。前みたいに。前みたいに。

もう俺のことはいらないの?
どうして存在を無視するの?
どうして"イラナイ"なんて言うの?
ーお母さん、俺が、何かした…?

「……だれ、か………」

自分はどんどん、
いるはずのない誰かに助けを求めるようになっていた。



自分の大きな転機は、それから何年か後の六年生の春だった。蜜柑も同じ小学校に新一年生として入学した。運命を変えたのは、新一年生の入学式から何日か後のことだ。偶々廊下をぶらついていたら、一人の小さな少女を見かけた。茶金の長い髪を二つで括り、きょろきょろと周りを見渡して戸惑っている。きっと一年生だ。道に迷ったんだろう。
しかし既にその頃捻くれていた自分は、見て見ぬふりをしてそこから去ろうとした。だがそれは後ろから服を引っ張られたことにより停止する。吃驚して後ろを振り向くと、そこには先程の少女が泣きながら突っ立っていた。間近で見ると言葉を失ってしまった。くるくると動く大きな瞳、自分の服を握る小さな手、そして愛らしい顔立ち。思わず見惚れてしまった。だけど、驚いたのはそれからだった。
「……おにーちゃん…!」
「……………は……?」
初めて可愛いと見惚れた少女は、妹である蜜柑であった。蜜柑を見たのは、目が合ったあの日以来だったから、全く分からなかった。今は家には寝る時だけ帰っているし、家族の顔を見ることもしなくなっていた。現に、早く自立して家から出ていきたいと思っていたし。蜜柑と言葉を交わすのはこれが初めてだった。
「お兄ちゃん…蜜柑、迷子になっちゃ…ったの…」
初めて言葉を交わした彼女は、とても泣いていて、自分の服を掴む手を、決して離さず、固く握り締めていた。
「…今……俺のこと、なんて……?」
自分はこんなに小さな存在をどのように考えていただろうか。心の底で笑っていると、馬鹿にしていると、嘲笑っていると、…そればかり。自分は彼女と話したことがあっただろうか。面と向かって言葉を交わしたことがあっただろうか。いいや、一度もない。勝手に決め付けていた。
「…棗お兄ちゃん!」
彼女は、蜜柑は、こんなにも輝いているのに。こんなにも眩しい笑顔を見せてくれるのに。こんなにも、優しい瞳を持っているのに。
『触らないで!!汚らわしい!!』
あれ以来、自分は彼女を憎んでいたのに。消えてほしい、と思っていたのに。なのに、
彼女は、自分を知っていてくれた。名前を知ってくれていた。消さないでいてくれた。存在を否定され続けていた自分のことを、ただ一人、認めてくれた。

昔、自分って何なんだろうって考えたことがある。
それは今でも変わらない。けど今気づいた。

「…そっか……俺は、お兄ちゃんなんだ…」

初めて暗闇から自分の存在を見つけてくれたのは、
憎んでいた筈の君だった。




蜜柑はあの日以来、自分に懐いてくれるようになった。母がどんなにそれを止めようとしても、蜜柑は自分に近寄ってきた。自分に向けられるその日溜りみたいな笑顔が、とても愛しくて、嬉しくて、その笑顔は昔の母の笑顔にとても似ていた。
「ちょっと蜜柑!どこ行くのよ!」
「お兄ちゃんと食べるんだもん!」
おやつのケーキを持って、こうやって何時も蜜柑は自分にところに走ってきた。半分こ、そう言っては笑顔で自分にケーキを差し出す。正直嬉しくて、でも半面複雑だった。
「蜜柑。母さん怒ってるから戻ってちゃんと食べた方がいいぞ」
「や〜だ〜!お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ美味しくないもん」
「………ばーか…。」
憎らしかった蜜柑が、今はとても大切な存在だと感じる。生まれてこなきゃ良かったのにと思っていた存在が、今は"生まれてきてありがとう"と心から思える。彼女の存在は偉大だった。
「蜜柑ねえ、お兄ちゃん大好き!」
最近蜜柑はよくそう言って、大きくダイブし自分に抱きついてくる。その温もりが暖かくて、気持ち良くて、抱きしめ返すとその暖かみが一層膨らんだ。愛しくて、恋しくて、彼女の全てを奪いたくて、堪らない。兄弟愛を越えた愛しささえも覚えた。
『大好き』
その言葉が嬉しくも、苦しいと思う程に。
「…お前の好きって、どんな好きなんだよ?」
蜜柑を抱く手を強め、思わず思ったことを問うてしまう。そっと覗くと、蜜柑は困った顔をしながら首を傾げていた。そしてまた笑顔になって言う。
「大好きなお兄ちゃんへの"好き"だよっ」
呆れた、と思う前に溜息混じりの笑みが浮んだ。まあまだ小さいんだから仕方がない。嬉しい事には変わりはないのだから。だけど、
「何でお前は…俺の妹として生まれてきたんだ…?」
妹じゃなけりゃ良かった。何だか複雑だ。けど、妹として生まれてきたからこそ、良かったのかもしれない。そうでなかったら、未だ自分は暗闇に閉じ篭ったままだった。それに、
『お兄ちゃん』
彼女は自分の存在に気づいてくれた。何者なのかを教えてくれた。こんなに小さな女の子に、自分は救われたんだ。だから蜜柑のお兄ちゃんとして、これからも彼女と接していくつもりだ。まあ、今のところは。
何となくテレビの電源をつけてみる。映っていたのは結婚式の様子で。そういえば、異父兄弟って結婚できるんだっけ?、ふいにそんないらぬ考えが浮んだ。


END
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長々とお疲れ様でした;
ご親切なかたから教えて頂いたのですが異父兄弟の結婚ダメらしいです;;
ああそうだよな!生まれた腹は一緒だしな…;
残念だあ〜叶わぬ恋なのか(ぇ)教えて下さったかた有難う御座います!v
人がすっかり変わってしまったお母さまについては
どう解釈すれば良いのやら…まあこのお話の中のお母さまは
とても弱いかたで、環境に洗脳されやすい人だったのです。
あーよくわからん!お粗末失礼致しました。