何回かの引越しの中で、一度だけ京都に引っ越してきたことがあった。当時五歳だった自身はその町にある保育園に入園した。保育園の名前は、昔過ぎて覚えていない。
『皆さーん、新しいお友達ですよー。名前は日向棗。皆仲良くしてね〜』
保育士がそう言って自身を紹介し、小さなブルーの椅子に自身を座らせたのを覚えている。その保育園の子供は皆積極的で、次から次へと団体で自身に話し掛けてきた。だけど自身はそれらを全て無視した。引越しは頻繁で、ここにずっといられる訳ではないと分かっていたから。だから無駄に仲良くなって、それで別れが寂しくなるのなら、最初から仲良くならない方がマシだと、そう思っていた。
『ちぇ!何やねん無視かい!皆行こ!』
先程団体で自身を囲んでいた子供は、あっという間にまた団体で去っていってしまった。まあ当然か。この方が気が楽なのだ。今ではなく、後が。
別に仲良くなりたくない訳ではない。本当は皆と話したかったのだ。だけどそれは後々意味のないことになる。先に繋がらない無意味で虚しいものに。自分が悲しくなるんだ、自分が後悔するんだ。だから、深入りはしない。
そんな風に物思いにふけっていた時、急に目の前に大きなダンボール箱がどさっと置かれ、自身は驚いて目を見開き、ゆっくりとダンボール箱を置いた人物を見上げた。
「なあっウチと一緒におままごとせーへん?」
視界に映ったツインテールのそいつはそう言ってにこっと笑うとダンボール箱から魚やリンゴ、まな板などの小道具を取り出し始めた。まだやるなんて一言も言っていないのに。
「ちょ…っ待…」
「は〜いアナタ。今ご飯作るからね〜ちょお待っててね〜」
「…なっ…!」
トントンとおもちゃの包丁を動かしながら鼻歌をうたい始めたそいつを見、”何て勝手な奴だ”自身は眉を捻りながら思っていた。そいつはリンゴやナス、魚などを適当に切り刻み、おもちゃの皿に置くと満開の笑顔でそれを自身に差し出してきた。例え本物でも食えるかこんなもん。
「……いらねえよ…」
「アナタそんなこと言わんといて!ウチがせっかく作ったのに!」
「…だから…」
「ああ!そうや!大好物のイチゴがないから食べたくないんやね!」
ちょお待ってて!そう付け足すと、そいつは慌しく走っていって、違うダンボール箱を漁りだした。何だあの切り替えの早さとハイテンションぶりは。まあイチゴは好きだけどさ。
ダンボール箱からイチゴを見つけたのか、そいつは嬉しそうに駆けながらこちらに戻ってきた。だけどその時だった。そいつは下にあった積み木に躓いて、自身の目の前で大胆にこけてしまったのだ。その時の映像は印象的すぎて、今でもよく覚えている。倒れたとき、物凄い音と、そいつの悲鳴がしたから。
「…っっヒギャーーー!!!痛いよおー!痛いよぉおーーーー!!」
そいつは倒れたまま凄い勢いで泣き始めて、自身は唖然としてしまった。先程まであんなに元気で、自分勝手だったのに、このギャップは何だろう。本当はこの保育園一の泣き虫だったなんて、後から保育士にこっそり教えてもらったのを覚えている。
「も〜また転んだのぉ?ホラホラ痛いの痛いの飛んでけ〜!」
「ぎゃーーー!!痛いよぉおおーー!!!」
保育士がそう言ってくれているのに何て素直な奴だ。そう思いつつも柄にもなく笑いが込み上げてきた。馬鹿だ、こいつは馬鹿すぎる。堪えきれず、吹き出すと、その途端そいつの泣き声が止んだ。そして口をあんぐりと開けてゆっくりとそいつは起き上がると、自身に近寄ってきた。予想外の出来事に、思わず自身の笑いも止まってしまう。
そいつの顔が近くなったかと思うと、その途端急に自身は何かにふわっと包まれた。そいつが自身の首に両手を回し、思い切り抱きついたのだ。意味が分からない。なんなんだこの状況は。他の子供達もこの光景をぽかんと見詰めていた。俺もぽかんだ。
「やった!やった!やったあーー!!」
そいつは、座っていた自身を起き上がらせ、抱きつきながら勝手にピョンピョン跳ねだした。何が”やった”なんだ。意味が分からない。
そいつはゆっくりと身体を離し、自身をじっと見詰めながら笑顔でこう言うんだ。
「…やっと笑った!」
もしかして、先程から笑って欲しかったんだろうか。ママゴトをして、必死に自身を喜ばせようとして。だけど、転んで大泣きしたあれは、技とではなく天然だろう。
「………」
驚きすぎて、それが単純すぎて、言葉が出なかった。今まで引っ越してきた中で、こんな奴いただろうか。こんな変な奴、いただろうか。可笑しくて馬鹿らしくて、嬉しくて、また笑えてきた。
「あっまた笑った!」
「…笑ってねえよ」
「嘘!笑ったやろ!?」
こんなに心から嬉しいと、楽しいと思えたのは久しぶりだった。楽しいと有名なサーカスが来たとか、面白いと有名な芸人が来たとか、そんなことじゃないんだ。本当に些細なことだった。そいつの人柄と笑顔に、自身は惹きつけられてしまったのだ。
両方の人差し指で頬を引っ張り、ニカッと笑顔を作りながら、そいつはこう言った。
「笑顔は大切なんよ?笑ってるとな、辛いことも嫌なことも全部忘れさせてくれるんや。だからあんたにはずっと笑っていてほしい。その方がええ!」
ふっと目が覚め、ベッドから身体を起こした。今日は珍しくよく眠れたみたいだ。それと、何だか懐かしい夢を見た気がする。ここに来る前の、何年か前、京都で暮らした日々。あの保育園で過ごした日々。それと、あの少女。
「…今日も学校行って、任務やって…ハッ何時もと同じことの繰り返しか…」
学園に来てから同じことの繰り返し。プライド高い奴らに好き勝手なこと言われて、やりたくもない仕事をして、流架に心配かけて。これって何時まで続くんだ?そんな弱音を吐いてみたりもする。強い決心でここに来たのに。何ひとつまともに出来ていない。改善への道なんて、開ける気配もない。
(…あ、そういえば)
ふと保育園のときが再び蘇る。確かあの少女から保育園を去るときに手紙を預かっていた。少女は”五年後に読んでね”とそう言っていた。考えてみれば今がその五年後だ。何故今日急に保育園のときの夢なんか見たのか。それはきっと五年後になった今、少女が”読め”とどこかでテレパシーを送っているのかもしれない。自身はぼんやりと考えていた。
あの保育園には、実は入園したその日に去ってしまった。アリス学園の勧誘者に引越し先が見つかってしまったのだ。だからあの少女とは、あの日を境に別れた。
明るくなったかと思った自身の視界は、その時一気に真っ暗な闇へと逆戻りした。やはり仲良くなるべきではなかったんだ。深入りするべきではなかったんだ。だって、こんなにも別れが悲しくて、こんなにも辛いから。離れたくなかった。せっかく出会えたのに。せっかく笑えたのに。
保育園の前でお別れする時、少女は自身に封筒に入った手紙を渡して、こう言った。
『五年後に読んでな!』
『何で、五年後?』
『別に四年後でも三年後でもどっちでもええんやけど、あんたが元気にやってるかどーか気になるから!だから五年後、ウチに元気かどうかお返事ちょーだい!約束な!』
五年後って、当時どのくらいの年月なのか分かっていたのかどうなのかは知らないが、自身はその言葉に大きく頷いた。最後じゃない。また連絡が取れるんだ、と思うと凄く嬉しかったんだ。
「…あった」
確か三段目の引き出しにずっと入れていたことを思い出し、自身は引き出しを開けるとそっと手紙を手に取った。あの時の懐かしい匂いがまだ残っている。何だか不思議と嬉しくなった。
今思えば、返事なんてどうやって出すんだ?この手紙には住所なんてもの書かれていないのに。まあ、あの時は小さかったのだ。仕方ない。この手紙を再び手に取っただけでも大分嬉しいから。
封筒から便箋を取り出し、そこに書かれた文字を読んだとき、頭の中いっぱいに少女の声と微かに記憶に残る笑顔が映し出された。顔は全く覚えていないけれど、どんな笑い方で、どんな声を出して笑うのかは、しっかり覚えてる。
(…汚ったねえ字……)
なつめくんへ
いま、なにしてますか?まいにちは、たのしいですか?
ちゃんと、わらってますか?わらってないといや!
またあいたいね あえるよ ぜったい
うちがぜったいあいにいくよ だからまたね
みかんより
(みかんって名前だったのか…)
今更知る少女の名前。多分少女がよく喋るもんだから聞くタイミングが掴めなかったのだと思う。それに、あの保育園はその日しかいられなかったし、聞く余裕もなかったんだ。
『ちゃんと、わらってますか?』
その言葉がちくりと胸に刺さる。笑えない場所にいるんだ、今は。笑いたくても、笑えない状況にある。今自身を支配しているのは、憎しみ、悲しみ、痛み、碌なもんじゃない。笑える隙間なんてないんだ。光が見つからないのだから。
こんな自身を見たら、少女はなんて思うだろうか?泣くんだろうか?怒るんだろうか?逢える訳でもないのに、そんなことを勝手に想像した。馬鹿みたいだ。
「…何時か、またあの時みたいに笑えたら…」
ああ、今とてつもなく、今どうしようもなく、君に逢いたくてたまらない。
『今知らない奴とナルが学園の外で何か話してるよ。新入りかな?』
教室に入ると、潜在系のアリスの男子がそう言っているのが聞こえた。新入り?でもそんなことはどうでも良かった。今はあの少女のことしか頭になかったから。
『あいつ何のアリス持ってんだろー?』
またあいたいね あえるよ ぜったい
うちがぜったいあいにいくよ
だからまたね。
(そのときは、きっと笑顔で)
*
オリジナルです!保育園で実は一日だけ出会っていたと。ちなみに語りやってる棗君の現在は蜜柑に再び出会う前です。脱走する日を設定に書いてます。んでこれから棗くん脱走して蜜柑と出会うから。多分気づかないだろうけど何かは感じるだろうね。
書くの疲れました。肩痛いです。終わり方が微妙になってしまったよ。