誰だろう、と思いドアを開ければよく知る顔がそこにあり、岬はドアを閉めた。だが閉めたドアは、外にいる人物によりまた強引に開かれてしまった。
「僕の顔見た途端閉めないでよ岬先生〜」
残業だったし今日は好い加減眠くて、岬はまたドアを閉めようとした。しかし、またドアは外にいる人物によって止められてしまう。それが何分間か続いた。
近所に迷惑だし、好い加減疲れたので、仕方なく岬は鳴海を家に入れてあげることにした。
部屋に通した途端、鳴海は自らリビングに入っていき、ソファに深く腰掛けた。そんな鳴海に構うこともなく、疲れている岬も合い向かいのソファに腰掛けた。
「珍しいね。いつも家には絶対入れてくれないのに」
「お前がしつこいからだろ、お前がっ」
そうつっこむと、鳴海は勝手に部屋を物色しだした。
だが、岬は全て諦めて、それを黙って見ていた。
そして問う。
「…で、何しに来たんだ」
その言葉に鳴海は『あ、そうそう』と何か思い出した表情をすると、持ってきた鞄の中から何本かの酒を取り出した。取り出した酒をどんっと机の上に置くと、鳴海はにっこり微笑んだ。
ー今日は飲み会、ってか。
何口か酒を口に含んでいると、気分がよくなってきた。あれだけ疲れていたっていうのに酒というのは恐ろしいものだ。辛かった疲労もあんまり感じなくなってきた。
鳴海は先程からずっと喋り続けている。酒を飲んでも飲まなくても酔っている男といえば、多分自身は決まって鳴海を指差すだろう。
「お前、何かあったのか」
「どうしてそう思うの?」
きょとんとする鳴海に、岬は机の上の酒を指差した。元々鳴海は酒を飲む方ではないのだ。何かに悩んでいたり、よっぽどの事がなければ酒は飲まない。これは実際に体験したことを参考に言っているのだ。
「さすが岬先生。長年付き合ってきた僕の親友だけあるね」
そうにっこり笑って鳴海は残りの酒を飲み干すと、後ろにあった岬のベッドに寝そべった。岬は何も言わずに三本目の酒に手を伸ばした。
「…別にね、何があったとか具体的にはないんだけど」
テレビをつけていない為、しんとした部屋の中にぽつりと鳴海の声が響いた。
前にも同じような事があった。行き成り鳴海が部屋を訪ねてきて、しつこく『入れて』とせがんできた。その時も確か酒を手に持っていた。
部屋に入るとベッドに倒れ込んで、何時もの台詞を吐くんだ。そう、先程の『何があったとか具体的にはないんだけど』というやつだ。具体的にはなくても、それは鳴海の放つ危険信号だ。そして決まって酒を持ってくるのが特徴。何とも分かり易い奴だ。
ーだから、そんな時は部屋に入れてあげるようにはしてる。それにあいつが気づいているかは分からないけれど。
「…岬先生、好きだよ」
急に降って来た言葉に、岬は耳を疑った。酒に集中していた目線を、恐る恐るベッドに横たわる鳴海に移すと、鳴海が此方を向いて微笑んでいた。
「……酔っているのか?」
「酔ってないよ。本気だよ」
にっこりと笑ってそう続ける鳴海に、岬は持っていた酒を思わず手から落としてしまった。はっと岬が我に返ると、その光景を見ていた鳴海が吹き出した。そして腹を抑え、ベッドを叩いて大笑いをしだす。岬は顔を真っ赤にして転がった酒を机にどんっと乱暴に置いた。
「全く岬先生は面白いなあ。人としてってことだよ」
「…本気にしてたまるかっ」
数秒鳴海の笑い声が響いていたが、すぐにそれは止んだ。
気になって、ちらっと鳴海の顔を伺ってみると、鳴海は上の空を見ていた。
「…相変わらず、僕の好きな女性は…柚香先輩だけだよ」
何年経ってもそれは変えることが出来ない、鳴海は小さく続けた。岬は酒を口に含みながら、それを静かに聞いていた。
あの時自身の心を奪った彼女は、明るくて、強くて、太陽みたいな人だった。自身にないものを持っていて、自然と惹きつけられるその力強い瞳に、自身は吸い込まれてしまいそうだった。
彼女は、自身を真っ暗な闇の中から救い出してくれた、たった一人の女の子だった。
ーけど、
「自分が何をやっているのか、正直分からない…」
子供達を、あの人と先輩の子供を心から愛しているのに。時に裏切るような真似をしてしまうことがある。先輩との約束も、あの子の笑顔も…考えると頭が痛い。
ーけど、目を背くことが出来ないんだ。
「もう寝ろ」
岬はそう言うと、ばさっと鳴海に掛け布団を強引にかけてやった。布団に埋もれた顔をぷはっと出すと、鳴海は岬の背中を見て静かに微笑んだ。
「…岬先生は、優しいね」
「気持ち悪いこと言うな」
「僕のこと気遣って、だから部屋に入れてくれるんだよね」
すると、鳴海の言葉を止めるかのように、岬は鳴海の頭にぽんっと手を置いた。
「…いいから寝ろ」
「分かったよ、おやすみ」
そう言った途端、急に岬の身体が崩れ落ち、そのままベッドに上半身だけもたれかかるように倒れ込んだ。堪った疲労と、アルコールの所為で急激な眠気が襲ったのだろう。
近くに降りてきた安らかな寝顔を見、鳴海は先程自分が言った言葉を思い返した。
『…岬先生、好きだよ』
あれは嘘ではなかった。
勿論、それは人としてだけど。
自身は今でもあの女性を求めてる。
「…でもね、こうやって安心して眠れるのは、岬先生の手だけなんだよ」
頭に置かれたままの大きな手を握ってやると、
そのまま静かに目蓋を閉じた。
安らぎのひと
(世界中でただ一人の手)
*
大目にみてやってください