(棗くんと蜜柑ちゃん)


からん、と落ちてしまったものを見て、女は言葉を失った。落ちたものに映されていたのは現実だった。
『まさかそんな事は』そんな気持ちで確認したのだが、そのまさかだった。思いもしない現実に、最初は動揺してただ震えが止まらなかっただけだったが、其れは直ぐに喜びへと変わった。
何とも表現出来ない気持ちがぐっと胸に打ち寄せて、自然と涙が出た。女は落ちたものを震える手で拾い上げると、それを胸の前に持っていき、両手でぎゅっと握り締めた。
「…妊娠、した?」
口をあんぐり開ける親友の問いに、女はそわそわしながら深く頷いた。何時も冷静な親友だが、さすがにその事実には驚いたのか思わず目を何回もぱちくりさせた。隣にいた親友の恋人である金髪の青年の目も点だった。暫くすると眉だけ鋭くさせて、親友は落ち着いて女にこう問う。
「避妊ちゃんとしてなかったの?ゴムは」
「棗が付けるの好きやなくて…最近は……」
その言葉に親友は眉をより鋭くさせた。
女とその親友はとても仲が良く、喧嘩はしたがその仲が壊れる事は無かった。無論これからも。然し中等部になってから茶金の少女は犬猿の関係だった黒髪少年と付き合うようになった。其れだけでも気に入らなかったのに、高等部になって妊娠ときたら親友は頭が痛かった。
大切な蜜柑に。そう思うと青年に腹が立ってくる。
「…でもウチは、嬉しいと思ってるんよ」
女がふんわりと笑ってそう言った。優しく、女は命のある其処をそっと撫でる。其の暖かな微笑みで、親友の怒りは消えていった。彼女がとても幸せそう微笑むからだ。
急に下りてきた命だが、彼女は其れをしっかりと受け入れ、納得し、其れを心から愛していた。
女の幸せそうな表情に、親友も自然と笑みが出た。
「おめでとう、蜜柑…」

授業が終わり放課後になると、何時もの様に女と青年は手を繋いで寮へと向かっていく。何か良い事あったのか、だなんて度々聞かれたが、女はまだ黙っていた。如何やら少々にんまりし過ぎたらしい。
がちゃりとドアを開け、青年の部屋に入れば直ぐに青年に抱きしめられ、二人は深いキスを交した。あっという間にベッドに押し倒された時、女は慌てて青年を止めた。
「今日はあかん。っていうか暫くは…。」
「…は。何でだよ」
仰向けになった女がそう言ってベッドから起き上がると、青年は顔色を変えて素早く問うた。然し女は勿体無い様に口を噤んだ。青年は女の両肩をがしっと掴んで、ずずいと答えを迫ってくる。女は顔を赤らめながら、口を開いた。
「…あ、赤ちゃんが出来たのっ」
女は昨晩妊娠検査紙で調べて、妊娠している事が分かった事を青年に告げた。打ち上げるのに女自身も緊張していた為、青年と目を合わせられなかった。
話していくうちに女の表情は笑顔へと変わっていく。一頻全てを話し終え、女は青年と目を合わせた。青年もとても喜んでくれるだろうと、そう思っていた。然し、女の瞳に映った青年の表情は、嬉しい表情とは程遠かった。女は思わず固まってしまった。
「……な、つめ…?」
青年は女の声に反応せず、何とも表現出来ないような表情をしていた。
ただ其の表情が、嬉しさではなく、絶望に近い事…それだけは分かった。
「…嬉しく、ないん…?」
「…いや……ごめん……」
「どうしたん……」
青年は女の問いに答えようとはしなかった。
暫くすると青年は小さく言う。
「…ごめん。今日は帰ってくれ」
青年はそう言ってゆっくり女をドアへと押し遣る。
女は必死に青年の名を呼んだが、青年は顔を合わせずに女を外に出し、其の侭ドアを閉めた。
寮の廊下に残された女は、訳も分からずただ泣いていた。
「っなつめぇ……なん、でえ……っ」

部屋に尋ねてきた女を出迎えると、女が急に泣きついてきた。どうしたの、と親友が問うても女は泣きながら震えているばかりだ。部屋に通し、暖かいミルクティーを渡して暫く待つと、女は少し落ち着いた。再度問うてみると、女は声を震わせながら青年とのことを説明しだした。
「…っ棗……嬉しそうやなかった…」
震える女を、親友は何も言わずに優しく抱きしめた。女もまた親友の背中に手を回す。
途端に女が大声で泣き始めると、親友は頭を撫でてやった。
「きっと、何か訳があるのよ」
「訳って何…っ?訳なんてある、ん…?」
女はずっと泣いていた。先程まで嬉しそうに笑っていた女を思い返すと、つきりと胸が痛む。女は宿った生命を心から喜んでいた。心のどこかで、心待ちしていた部分もあったのだろう。
けれど今の女の表情は酷く悲しく、心も傷ついている。
彼女が安心する様な言葉をかけてやりたい、然し彼が何故彼女にそんな事を言ったのかは自身とて分からない。けど彼が彼女に対して好い加減な気持ちでない事くらいは分かる。彼なりに、何か複雑な思いというものがあるんだろう。
「日向君を信じてあげなさい。彼を支えてあげて」
ー…あんたが選んだ男なんだから。

「ちょっと良いかしら」
朝っぱらから裏庭で寝そべっている青年に、黒髪の女が声を掛けた。女の睨む様な瞳に、青年は彼女との事だと察し、直ぐに起き上がった。女は長い息を吐くと、ゆっくりと青年の隣に座り込んだ。そしてぐるりと勢い良く青年の方に顔を向けると、こう言う。
「昨晩、蜜柑に言ったの」
「…は。」
行き成りの言葉に、青年は顔を顰めた。
女は、寄ってきた野良犬に一旦目線を移し、撫でながらこう続ける。
「…日向君を信じてあげて、って」
女は青年に目線を戻した。青年は女の其の言葉と、其の深い色の瞳に一瞬麻痺されると、強く拳を握った。
女は青年が喋る隙間を無くすかの様に、また真剣に話し出す。
「あの子が泣いてたの、気づかなかった訳じゃないわよね?」
「…………」
「あんなに泣く蜜柑、正直初めて見たわ」
そう言うと女は立ち上がり、スカートについた葉を手でぱらぱらと落す。
「…それを、言いにきたのか?」
「それだけじゃないわ」
刹那、太陽の光が勢い良く反射してきて、女の顔が見えなくなった。思わず顔を覆った手の隙間から見えた女の顔は、何だか怖かった。風が強く、女の藍色の髪がゆらゆらと流れた。
何だか其の姿が偉大なものに見えて、思わずぞくっと背中を何かが駆け巡る。
「ーあんたも蜜柑を信じなさい、って言いに来たの。」
どくん、と心臓が大きく動いたのが分かる。
其の刹那、昨日の彼女の顔が浮んだ。泣いている悲しそうな彼女の顔が。
「私はあんたの事情なんて知らないわ。
けどね、あの子を泣かせる奴は、誰であろうが許さない」
不安にさせてどうするのよ、女はそう付け足した。
彼は、私とあの子との仲に割って入ってきた。そして私にとって大切なあの子を掻っ攫っていった。私からあの子を奪った事、腹が立つけどあの子が選んだ相手ならば止めはしない。
けど、こんな事であの子を傷つけるのは許せない。如何して全て露にしないのか。あの子がとても泣き虫で、頑固なことくらい、貴方だって分かっているでしょう?あの子の気持ち、無意味にしないで。
ー私からあの子を奪ったことは、意味のあることだったんでしょう?
「…それとあんたは、自分自身も信じることね。」
そう言い終わると、女は去っていった。
青年は、其の後姿をぼうっと見詰めていた。

こんこん、とノックする音が聞こえて開いたドアの先には、青年がいた。昨日あんなことがあったばかりで、どうして良いか分からなかったが、青年が話があると言うので部屋に通した。
茶金髪の女は、青年をソファに座らせると、自身も合い向かいのベッドに座った。暫しの沈黙の後、青年が口を開いた。
「…悪かった」
其の言葉に女は首を小さく振った。女の肩は微かに震えていた。堕ろせ、そう言われるのではないかと怖かったのだ。無意識に腹を抑える力が強くなった。
思わず目を固く瞑っていると、急にふわっとした感触が襲った。瞳をうっすら開けると、青年が自身を抱きしめているのが分かった。
「なつ、め……?」
「…不安だったんだ」
「え?」
女を抱く手が強まる。途端、潮の匂いがして、耳を澄ませてみれば微かに啜り泣くような音が聞こえた。青年が泣いているのだ。
「もし生まれた子供が…っ俺と同じアリスだったら…!」
ー自分と同じ思いはさせたくはない、青年はそう続けた。得体の知れない教師や仕事に縛り付けられて、痛い思いをするのはもう懲り懲りだ。そんな辛い状況を、生まれてくる子供には味あわせたくはない。増してや君との子供には、知って欲しくはない。
女の瞳に涙が浮んだが、女は何度も瞬きをして其れを堪えた。そして日溜まりの様な笑顔で、青年にこう言う。
「あんたそんな事気にしてたん?大丈夫に決まっとるやんけ」
今日は何だか小さい青年を、女は子供を宥めるかのように頭を撫でる。
青年は、女を強く強く抱きしめていた。
「…もし生まれてくる子があんたのアリスだったとしても、
その子はあんたのアリス好きになってくれると思うよ」
「………………」

「ーそれに、ウチとあんたの子やろ?」
生まれてくる子がどんな形で生まれてくるかは分からない。母親のアリスを受け継ぐのかもしれない、父親のアリスを受け継ぐのかもしれない。若しかしたら手足が無い障害を持った子かもしれない。其れはまだ分からないが、これだけは分かる。
ーその子は其れを不幸だなんて思わない、ということ。
笑顔の眩しい、心の綺麗な、きっと強い子だろう。無論、二人の子供なのだから。

「ママでちゅよ〜〜」
真夏の暑い日、一つの生命が誕生した。大切にし続けた生命が、形となって現れたのだ。向日葵みたいな笑顔を見せてほしいから『葵』と名づけた。其れはこの子が生まれる前から彼と考えていたことだった。葵は、腕の中で眠っていたかと思ったら、何時の間にか起きてにんまりと笑いかけてくれる、そんな男の子だった。
今日は久しぶりに親友たちに会う日。出産前後は急がしくて病院でしか会えなかったのだ。早く会いたくて待ち合わせの時間より早くセントラルタウンで待つことにした。
其の間、腕の中の赤子を笑わせようと思い、変な顔をしていると其処に何時の間に親友の姿が。
「なんて顔してんのよ。それじゃ逆に子供が泣くわよ」
「あっ蛍!えーっでもあーちゃん笑っとるで?」
「それじゃ、あんた似なのね」
「それどういう意味〜?」
そう言って唇を尖がらせていると、親友の腕の中の何かに目がついた。自身の抱いている我が子と同じくらいの生まれたばかりの小さな赤子。日差しが鬱陶しいのか、険しい顔をしている。其の表情がどことなく親友に似ていた。いや、そのものだ。身体にかかっている毛布には『流帆』と刺繍がしてあり、如何やら女の子らしい。
じっと見詰めていると、後から来た親友の旦那である動物フェロモンの旦那が其れに気づいてこう言った。
「佐倉が妊娠した後、実は直ぐに蛍も妊娠したんだよ」
「えっ!?ウチそんなん聞いてないで!?」
「だって言ってないもの」
「…あ……そか……;」
そんな事を話していると、親友の腕の中にいた赤子に、葵が手を伸ばした。然し親友の赤子は伸ばされた小さな手を、ぺしっと冷たく引っ叩く。其の光景に三人とも唖然とした。まるで蜜柑と蛍を見ているみたいだ。
然し、引っ叩かれたにも関わらず赤子は逆ににこにこと笑っている。
「な、泣かないね…」
「こういうとこは棗に似たんかな…?」
「ただの馬鹿なんでしょ」
親友の毒舌に、二人はただ苦笑いするしかなかった。

「…そういえば、日向君帰ってくるのって今日よね?」
彼は出産前に仕事の関係で他国に旅立った。其れが終わればもう任務をしなくてもすむらしいのだ。然し出産を控えた時だったし、彼は行くのをやめると言ってくれた。だが自身は其れを断った。子供と一緒に待ってるから、早く帰ってきてね、とそう言って見送ったのだ。
辛い事も沢山あったが、生まれた子供がとても優しい子だったのと、強い子だったから全て乗り越える事が出来た。
ーもうすぐ、待ち合わせの時間になる。

「あっ、あれ棗じゃないか?」
大きな荷物を背負って、此方に歩いてくる青年が一人。
嬉しくて涙が溢れた。

「……なつめぇっっ…!!」

貴方が帰ってきたら何を話そう。
話したい事が一杯ある。知らせたい事が沢山ある。
生まれた子が男の子だってこと、元気で明るい本当に向日葵みたいな子だってこと。
顔付きは自身に似ていて、髪質や、泣かないところがあなた似だってこと。
ーそして、何より…

「…ただいま、蜜柑」
「………おかえり…!」
抱きしめられた瞬間、溢れた涙が次々に落ちた。
凄く幸せだった。
羽が生えているみたい。
きっと、このまま飛んでいけそう。
ねえ、聞いて。
これを聞いたらあなたはどう思うかな。
前みたいに悲しむのかな。
でもきっと、この子なら乗り越えられるよ。
ーこの子が、望んで其れを選んだんだから。

「なあ、この子のアリスな………」
生まれてきてくれて、ありがとう。




ひまわり

(きっと幸せになれるから)




拍手で「高等部で妊娠の話書いて下さい」というものがあって、リクエストは受け付けていなかったんですけど、なんか偶々「良いな〜」とか思って参考に書かせて頂きましたv多分リクエストくれたかたは甘々を期待してたんじゃないかな…思ってたのと違ったらごめんなさい。
本当は棗は帰ってこないっていう死ネタにしようと思ったんですけど暗すぎてやめました。
葵と流帆についてはコンテンツの『FUTURE』にしつこく書かれてあります。気になる方はそちらへどうぞ。葵のアリスは炎です。でもこの子はこのアリスが大好きなのです。だって父ちゃんのアリスだもん。